たわごと

映画「大いなる幻影(原題:La Grande Illusion)」を観た。

この映画は1937年のフランス映画で、映画のジャンルは戦争脱走ものだ。

この映画の舞台は第一次世界大戦のドイツだ。

この映画の主人公は3人いる。3人ともフランス側で戦い、ドイツに捕虜にとられた兵隊だ。フランスの貴族出身のボアルデュー大尉。フランスの一般人のマレシャル中尉。ユダヤ系フランス人のローゼンタール中尉。この3人が映画の中心となり映画は進んでいく。

映画の前半は捕虜として捕まって、捕虜としての戦い方、つまり脱走を企てること、ドイツ軍を撹乱することが描かれる。そして映画の後半では、脱走とボアルデュー大尉との別れ、ドイツ住人との生活が描かれる。

この映画で薄っすらと描かれるのはフランスでの階級制だ。ドイツの地で捕虜としてとらえられても、フランスでの当時の生活が兵士の中に染み出る。貴族のボアルデューはドイツの将校からも貴族として敬われる。

マレシャルは、そのドイツの将校に人格として認められていない。そして、黒人の姿が描かれる。この映画の中の黒人は教養のない人物として描かれ、まともにマレシャルたちからも相手にされない。

黒人、一般市民、貴族。このような階級制がここで読み取ることができる。そしてさらに、映画の後半では女性という虐げられた性が登場する。それがドイツの現地人の女性とその娘だ。

マレシャルとローゼンタールは映画の最後にスイス領に辿り着くのだが、その道の途中で、ドイツ人の未亡人と娘に会い、ひと時の生活を共にする。そして、その未亡人とマレシャルは恋仲になる。

その女性は言う。「家の中に男の足音を聞く幸福を男は知らない」。彼女の言葉を文字通りとるというより、彼女は男がいなくて仕事がきつくて仕方ない、と言っているように受け取ることができる。

決して彼女は男性を賛美しているわけではなく、彼女は男がいない生活をただ生活苦の生活として描いている。大飯ぐらいで、大酒のみでも家の仕事をしてくれる限り男も必要なのだと彼女は語っているかのようだ。

映画のラストでマレシャルは言う。「こんな戦争終わらせて、彼女を迎えに来る」と。それに対して冷静なローゼンタールはこう言う。「そんな女のために戦争を終わらせるなんて、君の幻影(たわごと)だよ」と。

ローゼンタールのこの言葉は、農民のような身分の女性への差別的な見方を示している。農民は愛や恋を知らないとでも言うかのようだ。しかし、ローゼンタールの言葉にも少しばかりの真実がある。

この映画の大いなる幻影とは、第一次大戦大義のことだろう。平和のために戦争をする。この言葉の語義矛盾は簡単に読み取ることができる。平和のために戦争をする?平和のために戦争をやめるが正しい筋道だろう。

平和のための戦争という大いなる幻影のために多くの命が奪われていく。それは現在の社会でも同じことではないだろうか?戦争後の平静が欲しい?何を言っているのだ?平静が欲しければ戦争をやめろ。ローゼンタールはそう語っているかのようだ。