愛があるからついていくんだ

映画「モロッコ(原題:Morocco)」を観た。

この映画は1930年のアメリカ映画で、映画のジャンルは戦争恋愛映画だ。

この映画の主要な登場人物は、アミー・ジョリーという舞台女優と、トム・ブラウンという兵士と、ベシェールというお金持ちの男だ。

この映画の舞台はモロッコだ。映画の時代背景は、第一次大戦と第二次大戦の戦間期である映画製作当時の時代だと思われる。モロッコではモロッコ事件というのがこの映画の作られる直前にあった。モロッコ事件の概要はこうである。

「20世紀の初頭、帝国主義列強によるアフリカ分割が進む中で起こったドイツとフランスの対立。1905年の第1次(タンジール事件とも言う)、1911年の第2次(アガディール事件とも言う)があり、1912年のフランスによるモロッコ保護国化で終わった。※世界史の窓https://www.y-history.net/appendix/wh1402-039_0.html参照。」

映画の中ではドイツ兵も登場するし、フランスの軍人が豪華な屋敷で豪華な食事を食べているシーンもある。この映画ではドイツとフランスの対立は影を潜めていて、ドイツ兵とフランス兵が同じ酒場で酒を飲んでいるシーンもある。

この映画の主要人物でもあるアミーはパリからモロッコにやってきた舞台芸人だ。モロッコという土地はこの映画の中では場末の場所だとして描かれる。実際に登場する人物がモロッコなんて住みたくない土地だというようなことも言う。

アミーは、はっきりとお金がない女性として描かれる。アミー自身が、お金があるならモロッコなんか来るわけないわと言う。そして彼女を巡って友好的な対立であるのが、トムとベシェールだ。

トムはモロッコに配置された外国人部隊の一員だ。当時のモロッコはフランスの支配下にあったので、フランス以外の国籍の兵士からなる部隊のようだ。トムは英語を話しているので、アメリカ人かイギリス人だと思われる。

ベシェールはトムとは対照的にお金をたくさん持っている金持ちだ。トムとは違い外国人扱いはされておらず、多分フランス人の貴族だと思われる。トムは酒場で一階席に座り、ベシェールはそれを見下ろす席についている。

この映画のラストに触れることになるが、この映画の一番の見どころであるのでここで言及したい。それはベシェールによる護衛部隊の解釈の問題だ。

アミーは外国人部隊の出兵の際に、女性たちが家畜を連れ、荷物を持って外国人部隊の後についていくのを見てこう質問する。「あの人たちは何をしているの?」。すると、ベシェールがこう答える。「愛があるからついて行くんだ」と。

しかし、ベシェールの言葉にはこういう含みを見て取ることができる。「戦争に家長をとられて女だけでは生活していくことができないんだ」と。ベシェールの言葉には、女性の経済力のなさへの侮蔑が透けて見えるのだ。

しかし、映画のラスト、ベシェールの婚約を捨てて、アミーは外国人部隊の後について行く護衛部隊に入っていくことになる。ここでベシェールの言葉が思い出される。「愛があるからついていくんだ」。

経済力がないから女性は外国人部隊について行くしかないと思っていた含みの部分が否定されて、愛があるからついて行くんだの部分が強調される結果となる。そう、アミーはベシェームの金ではなく、トムとの愛情を選んだのだ。

いや、意地悪い言い方かもしれないが、アミーは死を覚悟して生きているトムの存在に惹かれたのかもしれない。明日もないかもしれない命。その命が選んだ選択として自分の必然的な存在感のようなものにアミーは惹かれたのかもしれない。