打ち砕かれる、物質的崇高さ。残るのは、精神的崇高さ。

映画「ジョン・ウィック:パラベラム(原題:John Wick:Chapter 3-Parabellum)」を観た。

この映画は2019年のアメリカ映画で、映画のジャンルはアクションだ。

この映画の主人公は、この映画のタイトルにあるようにジョン・ウィックという白人男性だ。ジョン・ウィックは殺し屋だ。一度は殺しの仕事を引退していたが、車と犬が殺され、破壊されたことが理由で、殺しの世界に復帰した。

この映画は今作でシリーズの3作目だ。この映画の中に描かれるのは、殺し屋の世界だ。殺しの世界にも、テリトリーがあり、そのテリトリーの内部には法がある。

映画の中で「殺し屋にルールがなくなったら、ただの動物だ」と言われることからわかるように殺しの世界でもルールは重要視されている。各テリトリーにはテリトリーの支配者がいて、その支配者の下にルールが敷かれる。そのルール内で働くのが殺し屋たちだ。

この映画を一言で言うならば、「崇高なものにしがみつこうとして、いつもその希望を打ち砕かれる人たちの物語」だ。一言というか文になってしまった感があるが、尊いものに常に裏切られるのがこの映画の主人公ジョン・ウィックだ。

ジョン・ウィックは、日常での平穏な暮らし=統治権力への従属をダメにされ、殺しの世界で安らぎを得ようとするが、どれもこれもダメになる。ジョン・ウィックは一か所に落ち着こうとすると、すぐにはしごを外される人だ。

尊いものを追いかける生き方がある。しかし、そんな生き方は止めてしまえばいいのかもしれない。すべてを諦めて、日常の生活すら止めて、いっそ世捨て人になってしまえばいいのかもしれない。

そんな考えが頭をよぎる人もいるだろう。ネバー・ギブ・アップ。ジョン・ウィックは何度挫かれても戦うことを止めない。常に戦い、戦いが敵を引き寄せる。

尊いもの、憧れとは一体何なのだろうか?人の心の中に浮かび上がる真理のようなものとは一体何か?それは神か?それとも何か別のものなのか?

人は生きている限り、何か理想的な存在を求めてしまうものらしい。ヒッピーたちが、ラブ&ピースを掲げ、ディガーズが平等を求めたように。

真理に学歴は関係ない。人は自然とそれにひかれていく。気づいたらいつもそれを求めてしまうようなもの。それが真理とか、理想とか呼ばれる崇高なものだ。

この絶え間ない、問いかけを人はいつまでも止めることはないだろう。人は常に、きっと問い続ける。闇の中から光に向かって。何度でも、何度でも。