アルジェリア人への弾圧の傷跡

映画「隠された記憶(原題: Caché(仏)、Hidden(英))」を観た。

この映画は2005年に公開されたフランス、オーストリア、イタリア、ドイツの合作映画であり、映画の舞台は2000年代のフランスである。

この映画の題材は1961年10月17日に起きた事件である。その事件とはこうだ。

1954年から1962年にかけてフランスに占領されていたアフリカのアルジェリアは、フランスから独立しようとデモや爆弾テロを行っていた。暴力的な行動をとっていたのはアルジェリア民族解放戦線の側だけではなかった。独立をしようとするアルジェリア人に対してフランス軍は虐殺を行っていた。

1961年10月17日にフランスのパリで事件は起きた。民族解放戦線によって組織されていたアルジェリア人たちがパリで平和的なデモ行進を行っていた。しかし、フランスの警視総監モーリス・ポパンがこのデモを鎮圧する。

ポパン率いる治安部隊は、200人のアルジェリア系フランス人を橋から放り投げたり、銃殺したり、こん棒で殴り倒すなどした。

平和的なデモを行っていた市民を治安部隊が虐殺したのである。

この映画の主人公ジョルジュは裕福な家庭に生まれた子供だった。家には家の召使としてアルジェリア系フランス人が働いていた。その夫婦の子供がマジットというジョルジュの幼なじみである。

だがジョルジュはマジットのことを好きではなかった。そして両親に告げ口をしてマジットを施設に送り込んでしまう。ジョルジュはこの過去を消し去ろうとしている。

映画はジョルジュの家に一本のビデオテープが届くところから始まる。そのビデオテープにはジョルジュの家を外からただ撮っている映像が映っていた。

このビデオテープの視線は映画の観客の視線である。つまりビデオテープに映っていたのは、映画の登場人物たちを観る、映画の鑑賞者(もしくは映画の製作者)の視線である。

映像は作る側にとって優位に作ることができる。自らテレビ番組の仕事に関わるジョルジュは、この力の法則を知っている。つまり、撮られている側より、撮る側の方が優位になると。

ジョルジュはビデオテープという全能的な(なんでも知っていて、なんでもできる)視線を追いかけることにより、自分の隠した過去と向き合うことになる。観客から見た視線(製作者の視線)がジョルジュに、ジョルジュ自身が犯した罪と向き合うように導くのである。そして、ジョルジュは自らが消したい過去、つまりアルジェリア系フランス人の子供であったマジットの置かれている状況に目を向けざらなければならなくなる。

しかしそこでジョルジュは自戒の念に駆られることはない。ジョルジュは「映像の製作者はお前だろ!!」とマジットやその息子を責め立てる。マジットの息子は言う。「私の父は教育の機会を逃したんだ」と。

ジョルジュの部屋には本棚に本がずらっと並んでいる。一方マジットの家には生活に必要な最低限のものしかない。ジョルジュはインテリである。しかし、マジットの教育の機会をジョルジュは奪ったのである。