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映画「三文オペラ(原題:Die Dreigroschenopr)」を観た。

この映画は1931年のドイツ映画で、映画のジャンルはミュージカルだ。

この映画はブレヒトの戯曲をもとにして作られている。そのブレヒトの戯曲の題名も三文オペラという。

この映画には、主に三つの集団が登場する。一つは、メッキ―という男が取り仕切る泥棒軍団。もう一つは、メッキ―と仲の良い警視庁の署長のティガー・ブラウンが取り仕切る警察。そしてもう一つは、メッキ―と結婚するポリーの父が取り仕切る乞食の団体であるピーチャム商会。以上三つがこの映画に主に登場する集団だ。

この映画の特異な点は、社会のつまはじきものたちがスクリーンを占めることだ。特にその中でも、障碍者がこの映画の中では描かれている。障碍者が描かれるのは、映画の世界では珍しいというか、あまり試みられないことだ。

この映画に登場する障碍者は、足がない身体障碍者。どもってうまく話すことができない精神障碍者であり、知的障碍者でもあるような人物などだ。後は老人や女性が、乞食の集団の中にみることができる。

特に、映画の中でどもる人物というのは印象残る。なぜなら、映画にとってセリフは重要な要素の一つだからだ。人物が何をしゃべっているのかわからないならば、それは映画が少しクラッシュしてしまった状態であるともいえるだろう。

実際にこの映画を観ていて、どもる人物は特に印象に残る。なぜならセリフに集中して聞いていた視聴者が急にそれまでとは違ったものに出会うからだ。そこで視聴者は映画に何か不自由なものが入り込んできたと思うだろう。

映画の主人公はメッキ―という女たらしの泥棒のリーダーで、メッキ―が恋をするのがポリーという乞食の集団のピーチャム商会のボスの娘で、メッキ―と仲が良いのがブラウンという署長だ。

警察は表立っては正義の象徴であり、泥棒と仲良くすることなどないように思える。しかし、この映画では警察のブラウンはメッキ―の戦友として登場する。そして、悪党に対して優しいのがブラウンだ。

警察が悪党に優しい?何て素晴らしいことではないか!!誰もが悪党に進んでなるわけではないことを警察が十分に知っているということではないのか?社会の枠組みから零れ落ちる人をすくいきれない時に、社会のはぐれ物は登場する。

どうしても社会から零れ落ちてしまう人たちを救い出すことはできないかもしれないが、せめてその人たちへの共感を忘れないようにしよう。そのような態度がこのブラウンという署長にはあるのだ。それは戦争によってもたらされたとしても。

社会からアウトしてしまう存在。それを包摂する人たち。豪華な馬車に乗ったきれいなお嬢様が目を丸くして、乞食の集団を見つめるとき、そこには軽薄な差別の意図がにじみだしていないだろうか?

この映画「三文オペラ」が素晴らしい点は、社会から零れ落ちた存在に焦点をあてて、彼ら彼女らが、生き抜いている姿勢を、歩く乞食というデモ集団でそれを表現しているところではないのか?そこでは乞食がこの映画の主人公になる。