恋の免疫

映画「嘆きの天使(原題:Der blaue Engel)」を観た。

この映画は1930年のドイツ映画で、映画のジャンルは恋愛ものだ。

この映画の主人公は、ラートという名前の初老の男性だ。ラートは教授の職に就いている、いわば世間的には名誉ある職にある男性だ。教授の職にあることで、ラートが受けいている恩恵は多い。

自宅には使用人がいて、身の回りの世話をしてくれる。食事も掃除も洗濯もみんな自分ですることはない。ラートは自分の仕事の事だけを考えていることができる。専門的な職業に就く人にとってはある種この上ない環境かもしれない。

ある種と書いたが、この環境は実はラートにとっては好ましくない面もあった。それはラートは学問の道に一筋で恋に対する免疫がなかったということだ。専門的な職にとって好ましい環境の負の側面だ。

ラートは今のインターネットの環境のように見たいものだけ見るという世界に住んでいたはずだった。自分の選択した専門の分野の道をひたすらに進んでいく。それだけでラートは満たされているはずだった。

しかし、そんなラートにも学問以外に夢中になれることが存在した。それは恋だった。ラートは旅芸人で売春もしている職業団体の花形女優のローラに一目ぼれする。ラートが最初に見たローラはプロマイドの写真の彼女だ。

ラートの学生たちが持っていた、いわゆるエッチな写真を取り上げたまでは、教授としての面目を立てたつもりだったが、その写真に自分がはまってしまったのだ。生徒からエロ本を取り上げて読んでいる先生みたいなものか?

ラートは恋に落ちて、仕事を離れることになる。学校の校長がラートを首にするのだ。なぜなら、ラートは売春婦と結婚しようとしているのだから。教員のような古風なしきたりを重んじる世界では、売春婦との結婚はタブーだった。

ラートは、教授の仕事を、学校によって、もしくは世間体によって奪われる。ラートから仕事を奪ったのはローラではないか?という人もいるかもしれない。しかし、それは違うだろう。ローラはラートから何も奪ってはいない。

恋は、体が、脳が反応して生じるものだ。それは偶然で、罠を仕掛けたとしてもそこまで簡単に人は恋に落ちない。確かに美人は恋多き人生になる可能性が高いのかもしれない。ただ彼女に恋に落ちるのは、彼女のコントロールの下にはない。

いやローラはラートを操っているという人もいるかもしれない。それならこう考えてみても欲しい。なぜ人は自分の嫌いな人からも好かれてしまうのか?狙った獲物だけ落とせるような能力は誰にもあるものではない。

人は好むと好まざると人に好かれてしまう。それには偶然性が付きまとい、そう簡単に責任の所在を問えるものではない。ただここで悲劇的なのは、ラートが仕事を奪われてしまったことだ。

ラートは旅芸人の仕事には教授の仕事ほどには重要な意味を見出すことができなかった。だからラートは仕事に夢中になることはできない。ラートのこの映画での悲劇は、仕事への意欲をかきたてる動機を失ってしまったことだろう。