連載 アナーキー 第23回

人は相手に何をしたら、相手にとって幸福かわかっている。それが性善説の立場である。

人の性善を信じる動きはこの世の中で今も確実に起こっている。そう感じさせる動きがある。それは例えば食品ロスの運動である。 [ウィキペティア, 2018]

今世界の国々では「本来食べられる状態であるにもかかわらず食品が廃棄」されている。その問題を指して食品ロスという。

食品ロスとは「製造過程で発生する規格外品、加工食品の売れ残り、家庭や飲食店で発生する食べ残し(残飯)、期限(賞味期限、消費期限、品質保持期限)切れの食品、食材の余りや調理くずなど」を指している言葉である。この条件に当てはまるものが食品ロスと呼ばれるものである。

食品ロスを有効に使おうという試みがある。それは例えばフードバンクと呼ばれるものである [ウィキペティア, 2018]。

フードバンクとは前述のような条件の食品のうち品質に問題が無くて、市場で流通できない食品を「企業から寄附を受け、生活困窮者などに配給する活動およびその活動を行う団体」のことである。

この過程では品質の見定めがしっかりと行われている。あくまで品質の良いものを食品として使うのである。

フードバンクは寄附で成り立つものである。

常世の中にあるのはお金と物の交換である。物を与えるには必ず対価として金銭が支払われなければならない。

寄附は違う。寄附とは交換ではなく贈与である。贈与というのは対称性を欠く行為である。つまり送る側と受け取る側の間に等価な交換がない。つまり見返りがない。与える人は与えるだけで、その返礼を要求しないのである。

フードバンクは食品ロスとなる食品を、何の返礼も期待せずにただ贈るのである。見返りのない贈与。それがフードバンクである。

フードバンクは企業が行う寄附であるが、私たち一個人ができることもある。それは全く企業の寄附の行為と同じである。