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ダダイズムもシュルレアリスムもレトリスムも芸術を出発点として既存の体制への反抗を行った。芸術の活動が政治的態度をとったものだったということができる。
ダダやシュルレアリスムは第一次世界大戦(1914~1918)に対する反抗の活動だとみることができる。ダダもシュルレアリスムも既存の体制を破壊するような態度がみられる。まずダダについて語ろう。
ダダは「1916年に抽象絵画および前衛詩の分野で起きた」ものである。
ダダが最初に起こった場所は、スイスのチューリヒとドイツである。
ダダという名称の語源には諸説ある。「ダダという名称が最初に使われたのは、フーゴ・バルが発行した雑誌「キャバレー・ヴォルテール(この雑誌は創刊号だけで終わった)」の中である。」「詩人リヒャルト・ヒュルゼンベックによれば、彼とフーゴ・バルがキャバレーの女性歌手のステージネームを探しているとき、独仏辞典のなかでダダという言葉を偶然見つけたという。」 [マルク・ダシー 監修/藤田治彦 訳/遠藤ゆかり, 2008, ページ: 19]
ダダという言葉の意味はフランス語では“小さな木馬”を意味する。ドイツ語では“さようなら”“ではまた”“また今度”という意味である。 [マルク・ダシー 監修/藤田治彦 訳/遠藤ゆかり, 2008, ページ: 21]
ダダのメンバーはフーゴ・バルがスイスのチューリヒで新聞に出した知らせに応じた芸術家たちだった。
ダダは既存の体制に挑戦する。例えばそれがキリスト教でもだ。キリスト教に食ってかかったのはセックス・ピストルズのジョン・ライドンたちと共通する点である。
セックス・ピストルズはアナーキー・イン・ザ・UKという曲で「俺は反キリスト」と歌う。
ダダイズムは「ベルリン大聖堂で「あんたたちはキリストを馬鹿にしている」といって、(プロテスタントの)牧師を妨害した。」(()内筆者。)
ピストルズはキリスト教そのものに反対したのに対して、ダダイズムはキリスト教信者たちに対して挑戦する。ちなみにキリスト教に反対的な活動を行ったのはドイツのダダの集団である。 [マルク・ダシー 監修/藤田治彦 訳/遠藤ゆかり, 2008, ページ: 43]