精神の成熟と肉体の成熟

映画「グロリア(原題:Gloria)」を観た。

この映画は1980年のアメリカ映画で、マフィアの情婦と、そのマフィアにより家族を奪われた少年との逃亡劇であり、映画中2人の関係は微妙に揺れ動く。

マフィアにより家族を殺された少年は6歳のフィルである。父親がマフィアの一員として働いていたが、FBIやCIAにマフィアの情報を密告していたため家族もろとも吹き飛ばされる。その中で一人生き残ったのがフィルなのである。

フィルは自分一人の力で生き残ったわけではない。フィルを逃がそうとした家族と、フィルの母の友達グロリア・スウェンソンによって助け出されたのである。

フィルはこの時、父からマフィアの情報が詰まった手帳を託される。そしてそれから手帳を持ったフィルとグロリアとの逃亡劇が始まる。

この映画の中で一番曖昧なのは、フィルとグロリアとの関係である。フィルは6歳でグロリアは60歳近い年齢であるが、この2人の関係は、おばあちゃんと子供というよりは、男と女の関係を連想するものがある。

逃亡劇の最中、2人でホテルに泊まると、フィルがグロリアにこう言う。「僕は君が好きだ」。フィルのセリフは成人男性が成人女性を誘っているかのようだ。また、映画の終盤で、フィルはグロリアにこう言う。「グロリアは父で母で家族で恋人で親友だ」と。グロリアはこう答える。「私は家族がいいわ」。

フィルは映画の最初から「俺は一人前なんだ」と言わんばかりにグロリアをリードしようとする。フィルは父親の死に際の言葉を聞いて一人前になろうと決意したのかもしれない。しかし困るのはグロリアの方である。

グロリアは男性として自分を認めて欲しいというフィルの気持ちと、フィルの体の未成熟さに困るのである。いくらフィルが大人として見て欲しいと願っても、グロリアの目の前に居るのはたった6歳の男の子の体である。性的に成熟してはいない。

映画のラスト・シーンで、フィルと再会した時にグロリアは言う。「さあおいで、おばあちゃんよ」と。しかしそれに対するフィルの態度は照れている大人のような態度なのである。

映画中の2人の関係は一体何なのだろうか?父?母?家族?親友?恋人?この中で何が一番適切な言葉なのか?多分セックスなしの恋人同士というのが、この映画を観た人が持つ印象なのではないのだろうか?

肉体的に成熟して、精神的にも成熟した男性と女性、同性同士が付き合うことが、当たり前にされている。恋愛の関係に肉体関係がつきものであると考えると、6歳と60歳近い人との恋愛はタブーとなるのかもしれない。

しかし、それが精神面だけになるのならば、2人の関係が恋愛関係でも多くの人は認められるのではないだろうか?