銃社会アメリカ

映画「愛してるって言っておくね(原題:If Anything Happens I Love You)」を観た。

この映画は2020年のアメリカ映画で、映画のジャンルはアニメーションだ。

この映画の中心となるは、一つの家族だ。核家族と言うと、わかりやすい人もいるかもしれない。つまり、父、母、子からなる一つの家族の物語が、この映画では描かれる。この映画は、いかにして悲劇を乗り越えるか?というものになっていると同時に、いかに悲劇をストップさせるか?というものでもある。

この映画の家族の子は、すでに失われている。つまり、この家族の子供は死んでいる。この家族の子供は10歳の女の子だ。この女の子はサッカーが好きで、ボーイフレンドもいて、音楽も好きな女の子だ。

この女の子が死んだ理由は、映画の最後に明らかになるが、学校での銃撃による死亡だ。この女の子は学校で殺された。

学校での銃撃で、生徒が生徒を殺した事件を取り上げたドキュメンタリーとして有名なのが、マイケル・ムーア監督による映画「ボーリング・フォー・コロンバイン(原題:Bowling for Columbine)」(2002年) だ。マイケル・ムーアが、アメリカが銃社会である現実を描き出していく映画だ。

生徒による生徒の銃撃といってもう一つ思い出す映画は、ガス・ヴァン・サンド監督の「エレファント(原題:Elephant)」(2003年)だ。静寂の中で映画が進行していき、銃撃の悲劇を映画は描き出す。

生徒による生徒の殺人に、銃器が使われる。生徒が生徒を殺すことが、いともたやすい状況がアメリカにはある。それは、銃が簡単に手に入る社会だということだ。アメリカ人であれば、誰でも銃を買えるのがアメリカの社会だ。

生徒による生徒の殺人に絞って考えてきたが、この範囲をアメリカ国民による、アメリカ国民の殺人に広げる。するとアメリカでは、今現在でも毎月必ず銃による殺人が起こっているのがわかる。これはインターネットで、例えば「Mass Shooting in 2021 in America」と検索してみればすぐにわかる状況だ。

アメリカ国民による、アメリカ国民の殺害。それは、警官による一般市民の殺人も、連想することができる。この状況をわかりやすく示しているのが、ワシントン・ポストだ。ワシントン・ポスト紙による、985 people have been shot and killed by police in the past yearという記事を読んでみると、アメリカの警察と銃殺の関係がわかりやすくわかる。

2015年から現在までの、警察によるアメリカ国民の致死的な銃撃の統計が、この記事には載っている。それによると2015年から5000人以上の人が、警察により致死的な銃撃を受けている。そしてアメリカの人口比を考えて、黒人やヒスパニックの人たちが、銃撃を受ける割合が高いことも示されている。そして20代から40代が、多く警官による銃撃を受けていることがわかる。

この映画の主人公といっていい、10歳の少女は黒髪の少女だ。肌の色は薄い。少女は、アジア系の女の子に見える。もしかしたら、ヒスパニック系かもしれない。少女は、白人の子供ではないのかもしれない。

しかし人種など関係ない。人が殺されるこの現実に目を凝らし、耳を澄ませる必要がある。人が殺されている。黒人だろうと、ヒスパニック系だろうと、白人だろうと、アジア人だろうと、アラブ系だろうと関係ない。人が殺されている。それはそれだけで十分悲劇的なことだ。

戦争は、人殺しが常識とされる異常事態だ。戦争は避けるべきだ。あってはならない。しかし、アメリカは、今非常時ではない。アメリカで戦争は起こっていない。しかし、だ。アメリカには、銃が普及している。それが悲劇の元だ。

アメリカ人は、銃を自由と独立の印だと考えていると読んだことがある。銃があるから、独裁的な政治家による、もしくは独裁的な軍人による統治が、誕生した時も、銃を持って戦うことができることが保証されていると。

しかしだ。平時でも、銃を持った人たちが、人を銃で殺している。黒人の人が殺され、ヒスパニックの人が殺され、白人も殺される。ならば銃は必要ないのではないのか?安易に銃が使えてしまう現状を、変えるためにこの映画はある。