正統も異端になる

映画「太平洋の地獄(原題:Hell in the Pacific)」を観た。

この映画は1968年のアメリカ映画で、ジャンルは戦争無人島置き去り映画だ。

この映画の登場人物は、2人だ。1人は日本人の海軍大佐のクロダツルヒコ、もう1人はアメリカ空軍のパイロットの白髭だ。クロダツルヒコを演じるのは、黒澤明監督の映画「七人の侍」で世界的に評価を得た三船敏郎だ。

それに対して、アメリカ軍のパイロットを演じるのは、サム・ペキンパー監督の映画「戦争のはらわた」、映画「七人の侍」のアメリカ版リメイクの「荒野の七人」にも出演したジェームス・コバーンだ。

この映画の舞台は、第2次世界大戦の末期のマリアナパラオ諸島の戦いで、戦場からは少し離れた無人島だ。映画の撮影場所は、現在のパラオ共和国バベルダオブ島のアイライ、同じくパラオ共和国のコロールなどだ。

パラオ共和国は現在では観光地になっている。パラオ諸島の歴史は長く、4000年前から人が住んでいたと言われている。その後、16世紀ごろからスペインの植民地となり、その後はドイツ、そしてその後は日本の植民地となっている。

現在のパラオ共和国は、人口は18000人ほどと少なく、その人口の中には、日本の植民地支配の名残りとして日系人パラオ人の人もいる。

パラオ島の第2次世界大戦の激戦は、要塞化した洞窟陣地などを利用したもので、この日本軍の戦い方は、クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」や「父親たちの星条旗」で描かれている。

日本は、第2次世界大戦で劣勢に置かれ、その時マリアナパラオ諸島は、絶対国防圏に置かれた。絶対国防圏とは、これ以上負けて取られてはいけない領地ということだ。それだけ日本軍は迫りくるアメリカ軍と、必死に戦ったということだ。

そんな激戦の中で、主人公2人がいる島は、海の音と、動物の鳴き声、雨の音しかしない、静かな無人島だ。近くで行われている激戦が嘘のような静かな場所だ。

その無人島に初めに一人でいるのは、クロダだ。クロダは、島についてからしばらく経っているようで、雨水を集めるため手製の袋受けを作っている。そこに救命ボートでやって来るのは、日本の特攻のゼロ戦によって飛行機と相棒を奪われたパイロットの白髭だ。

2人は無人島でサバイバルしていくために、互いに自分の陣地を守ろうとする。2人が互いを発見した当初は、当然対戦国の兵隊なので、殺し合いをしようとするが、その後、陣地の奪い合いした後、そして無人島でサバイバルするといった共通目的を持った共同生活を始める。

その攻防の中で、クロダは白髭を捕虜にする。その時の白髭の姿は、磔刑にされたキリストのようだ。

キリストの磔刑とは、ユダヤ教を批判したキリストが、ユダヤ教の指導者たちの反感を買い、キリストを死刑にするようにユダヤの指導者たちが、死刑の執行権のあるローマ帝国にキリストを死刑にするように頼み、キリストを磔刑にして殺したことを指す。

つまり捕虜になった白髭は、ナザレのイエスと同じだ。島の支配者であるクロダによって十字架にかけられたのが白髭だ。

その磔刑の様子も、映画の半分の時点で様変わりする。クロダが磔刑にされるからだ。つまり、白髭もクロダもイエスの立場に置かれることになる。この映画では、磔刑による死刑は実行されないが。

2人は日本人とアメリカ人だ。当然、使用する言葉が違う。日本語と英語だ。2人は言語によるコミュニケーションがとれない。2人は状況と相手の様子から、相手の言いたいことを推測しているようだ。

考えていることや、考えたこと、イメージなどを、お互いに表情や身振りなどで伝え合った共同を生活をしていく。最初はうまくコミュニケーションがとれずに、ケンカばかりをしているが、無人島で生き抜くために協力していくことになる。

その2人の協力の結晶が、2人が無人島を出るために作る、竹を材料とした船だ。協力して、筏を作り、その筏を協力して漕ぐ。特に海の航海では、2人の意見の不一致が死の危険性を招く。筏での航海は、2人の団結力の現れだ。戦争の対戦国の兵士同士の。

2人の筏は、無人島よりも多きな島に着く。そしてそこで、日本軍の要塞、病院に、2人は辿り着く。そこには誰もいない。病院には、1944年に出版されたコミックのキャプテン・マーベルの38号がある。他にも、アメリカのライフという雑誌の、1943年の8月16日号もある。

白髭は、最初ライフのエッチな写真を見て、「オー・イェー」などと言っているが、日本軍との戦争の写真を観て、表情が硬くなる。2人はその後、日本酒で盃をかわすが、その時、白髭はさっき観たライフ紙のことから戦争のことで頭がいっぱいになる。

クロダもライフ紙の、負傷したり、死んだ日本兵の写真を観て、だんだん深刻な気持ちになってくる。

その時に白髭が発する言葉は「日本人が神を信じないのは本当か?」というものだ。クロダはその質問に対して「うるさい!!」と答えるのみだ。クロダも白髭も、ライフ紙の写真に頭を占領されている。そして2人のコミュニケーションはかみ合っていない。言葉が通じないし、同じ神を信じていないからかもしれない。

日本には神がいた。それは天皇という現人神だ。もちろんアメリカ人である白髭にも神はいる。それはキリスト教の神だ。白髭の質問に答えるのならば、日本人は神を信じていたのだ。ただそれは、アメリカ人にとってはただの人間にしか見えないのだが。

白髭の質問には「日本人は神を信じていないから、戦争をするのだろう?」という内容が透けて見える。しかし、イエス・キリストを信仰する白髭達アメリカ人も人殺しをする。天皇を信じていても、キリストを信じていても同じだ。人は戦争で人を殺す。

クロダも白髭も、罪人だ。2人の姿は磔刑にかけられたキリストのようだと書いた。つまり、白髭にとってクロダは異端で、クロダにとって白髭は異端だ。だからお互いにお互いのことを殺そうとする。

違うものを信じる同士がいる。だがそこに共通点はある。それは同じ人間だということだ。同じ人間だから、似たような感情がある。特にケガによる痛みは、人類共通のものだ。いがみ合う対戦国の兵士同士に共通点はある。

ならば戦争は何がおこすのか? それはきっと、エリートたちと大衆の思い込みだ。戦争をエリートたちが仕切るのは、エリートたちの権益の拡大のためだ。そして、大衆の熱狂への恐れだ。熱狂した国民への恐れと、エリートたちの思惑。兵隊は、エリートたちの欲望のための駒でもある。大局観は、強欲によって作り出される。強欲は人を殺す。