アメリカに侵略されたメキシコ

映画「夕陽のガンマン(伊題: Per qualche dollaro in più、英題: For a Few Dollars More)」を観た。

この映画は1965年のイタリア映画で、映画のジャンルは西部劇だ。

この映画は1964年のマカロニ・ウェスタン映画「荒野の用心棒(伊題: Per un pugno di dollari、英題: A Fistful of Dollars)」の続編だ。

この映画の主人公はモンコとダグラス・モーティマー大佐の2人で、この2人に敵対するのはインディオをボスとする盗賊団だ。モンコとモーティマー大佐は賞金稼ぎで生計を立てていて、賞金首がインディオ一味ということになる。

この映画の舞台は西部開拓時代で、なおかつアメリカの南北戦争が終わった後の話だ。この時期にコルト社のリボルバーやウィンチェスター社の当時の最新型の銃が開発さえており、ガン・ファイトもこの時から素早いものになった。

この映画の舞台の土地名は例えばテキサスのエルパソだ。当時のテキサスはまだアメリカ領になったばかりだった。開拓時代の頃までテキサスはメキシコ領だった。

メキシコは、スペインが直接は支配していたが、そのメキシコで採れる金や銀は、ヨーロッパやアジアに送られ、イギリスが利益を盗っていた。19世紀中頃、メキシコ領だったテキサス、アリゾナ、ニュー・メキシコ、コロラド、ユタ、ネバダ、カリフォルニアにアメリカをアメリカが強引に奪った。

また、この時にメスティソというインディオとスペイン系・ポルトガル系移民との混血が起きて、同時に人種がミックスされた人々が生まれた。

それは、アメリカのジョン・タイラーとジェームス・ポーク大統領がアメリカの宿命としてアメリカの拡張が宿命であるという困った熱に浮かされてたせいでもある。

当時アメリカとメキシコの間に起こった米墨戦争でメキシコの55%の領地がアメリカのものとされた。

モンコはポンチョという南米の衣装を着ているし、モンコとモーティマー大佐の敵のインディオ一味も、ソンブレロというメキシコのイメージがある帽子を被っている。当然住んでいるのも前述したようにメキシコ系の血を引く人たちだ。

テキサスはメキシコがアメリカに奪われた土地だ。それはつまり戦争のあった土地であり、実はいやいやながら住んでいる人はアメリカの横暴を受け入れているのだ。つまりテキサスは悲劇の土地でもある。

西部開拓時代で、アメリ南北戦争が始まった後で、米墨戦争の後で、新型の銃が開発された時代のテキサスは、暴力があふれている土地だった。その中で生き抜くにはマチズモが必要だったとこの映画は物語っているようでもある。

賞金稼ぎが見事に賞金を勝ち取ることができるのか?アメリカ人に土地を奪われたメキシコ人は身内の仇をとることができるのか?それがこの映画の見どころでもある。

映画の最後に明かされる、インディオが愛して殺し、その復讐をする原因となる兄のモーティマーの妹の存在が明らかになると、この映画の読みは一層深いものになる。妹は侵略者であるアメリカ白人に恋をして、メキシコ系の血を引くインディオに殺される。モーティマーの妹は、アメリカに侵略されたテキサスの土地そのもののようだ。それは、柔軟な女性、硬直した男性を表しているかのようでもある。