映画「ターミネーター:新起動/ジェニシス(原題:Terminator Genisys)」を劇場で観た。
映画は大体1984年から2009年の間の出来事を描いた、タイムスリップSFアクションである。この映画の中では、人類と人工知能であるスカイネットというロボット集団が対立をしている。対立の原因は、機械集団であるスカイネットが暴走して人類を攻撃対象にしたことによる、つまり、人類は自らが開発した人工知能と戦う羽目になってしまっているのである。
その機械集団スカイネットの中でも人類にとってより脅威なのは、人間の皮膚を持っていて人間と区別がつかないロボットであるターミネーターである。
人間が何故ターミネーターを恐れるのか?それはターミネーターが人類とまったく瓜二つの姿をしているため、見方(人類)と敵(ターミネーター)の区別がつかず、人類は味方だと思って接した偽人間(実はターミネーター)に殺されてしまうからである。
敵と味方の区別がつかずに人間はターミネーターを前にして混乱してしまうのである。それは人間か?それともターミネーターか?人間なら生かせ!!ターミネーターなら破壊しろ!!
機械と人間の対立と聞いて思い浮かぶ史実がある。それはラッダイト運動である。ラッダイト運動とは1811年から1817年頃のイギリスの中北部の織物工業地帯で起こった機械破壊運動のことである。
当時、産業革命によって機械の利用がイギリスでは広がっていた。そんな中、機械に自分たちの仕事が奪われてしまうのではないかと考えた労働者たちが機械を破壊したのである。
これはまるで映画ターミネーターの世界ではないだろうか?機械が人間のそれまで占めていた場所を奪っていくという点で、ラッダイト運動とターミネーターは類似している。ただし織物機械は失業という方法で人類を追い詰めるのであって、ターミネーターのように武器を持って人間を殺しに来るわけではないが。
ラッダイト運動についてイギリスの経済学者であるカール・マルクスは、労働者は「物質的な生産手段」ではなくて「社会的な搾取形態」を攻撃すべきだと批判している。つまり機械は使い方によっては有効なもので、その機械の使用され方、機械を利用する時の人間の態度こそが問題であるといっているのである。
ターミネーターは有効な道具かもしれないが、その人工知能が人類を破壊の対象としている社会的な事実は受け入れることができないのであり、だから人類はスカイネットと戦うのである。
人工知能は人間の利益になるのではないのだろうか?人工知能が人の手を離れたときには人類にはディストピアしか待っていないのだろうか?