自由を求めて

映画「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」を観た。

この映画は、2015年の日本映画でダーク・ファンタジー映画だ。この映画は2部作の前編である。本作の後編となるのが「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」だ。今回は前編について述べる。

この映画の中の世界は人喰い巨人が人間を喰い殺す世界だ。人間たちは巨人たちの捕食から逃れるために三重の壁を作って暮らしていた。三重の壁の中心には国の中枢があり、その外は商工地域、そしてその外には農業地区があった。

ある時壁よりも巨大な巨人が現れて農業地区を守る壁の一部が壊された。それにより壁よりも小さく以前は壁の中に入れなかったような巨人たちが、農業地区の住人たちを喰い殺してしまう。巨人たちが農業地区に侵入するところからこの映画は始まる。

この映画の主人公はエレンという少年だ。エレンは巨人が壁を壊して侵入してくるまでは、壁の外に出たいと思っている少年だった。壁の中の世界など面白くない。外の世界で生きてみたい。それがエレンの希望だった。

しかし、ある時壁の外は壁の中よりも生きづらい場所だと知る。それは巨人の侵入によってだ。エレンにとってつまらない世界は、血みどろの世界となる。エレンは自分にとってつまらないはずだった世界の消滅に心底落胆する。

エレンにとってつまらないはずだった世界は、エレンに安心を与えてくれるかけがえのない世界だったということになる。

人は周囲の人の存在なしには生きてゆけない。しかも命が常に危険にさらされている状態だ。重要な他者の喪失の危機と、自分の生命の存続の危機が、同時にエレンにそしてエレン以外の壁の中の住人にもやってきた。

巨人に立ち向かう人間の軍隊のシキシマ隊長が言う。「恐いのは巨人ではない。恐いのは安心である」と。安心は人々を飼いならし、人々を家畜にしてしまうと。シキシマはエレンに壁の中にいる人間は家畜同然だとさとす。

そしてシキシマはエレンに言う。「お前は家畜か!!」と。それを聞いたエレンは言う。「違う、俺は家畜ではない」と。

エレンは巨人の来る前から家畜のような生活に倦んでいた。しかしエレンの元に外の世界が開けた時にはエレンの大切なものは失われた。エレンは家畜のような生活は嫌いだが、家畜のような生活が保障している生命の安全というものがあったのだ。

家畜のように生命の安全のために生きる。しかしそれは必然的な生き方なのか?答えは映画の後編のラストで明らかになる。ただこうは言える。人は生きるために家畜になる必要などないと。ただ体制がそうさせているのだから。