権力は人を追い詰める

映画「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~(原題:Fuocoammare)」を観た。

この映画は2016年のイタリアのドキュメンタリー映画で、ナイジェリア、ソマリアリビアスーダン等の国の人々がイタリアのランペドゥーサ島に逃げて来る様子を撮影したものであり、その映像はランペドゥーサ島の日常の風景に割り込む形で描かれる。

この映画にはアフリカ大陸から逃れてやってきた人々が登場する。この人たちは前述した国以外にもエリトリア(アフリカ大陸の東)、チャド(スーダンの左、アフリカ大陸の中央の上)、ニジェール(チャドの左、アフリカ大陸の中央上)から来た国に住めなくなった人々である。

彼ら彼女らが国に住めなくなった主な原因としては紛争がある。アフリカのこれらの国々に住むことが困難になった人々がイタリアの最南端の小さな島ランペドゥーサ島に次々と到着しているのだ。

彼ら彼女らは船でやっくるのだが、その船は小さなボートであり、そのボートに人が何人も積み重なるように乗っているのである。船の席場所には、一等船室、二等船室、三等船室があり、それぞれ別料金になっている。

食糧や水を持っていない人々は脱水症状に陥ったりしている。ちなみに一等船室は1500ドル、二等船室は1000ドル、三等船室は800ドルである。彼らが水や食糧を持っていないのは、それらが手に入らないからであろう。持って行きたくても彼らの手にはそれが手に入らないのである。

一体アフリカはどうなっているのだろうか?遭難者の一人は皆の歌う歌を訳しながら歌う。「最初はサハラに逃げた。しかしそこでも殺されるし、犯されるし、暮らしもままならない。その次はリビアに逃げた。しかしそこでも同じ目に遭う。その次は海に逃げた」と。

この歌を歌っている人はナイジェリアの人で、ナイジェリアの状態を歌が教えてくれる。彼ら、彼女らは7日間、水も食料もなく船に揺られて過ごし、船では子供などが燃料の供給の人手として使われて、そのため全身に大やけどを負っている。燃料と海水が混ざったものが皮膚を焼いたのである。

その7日間の間には当然のように死者が出る。人が人を抑圧しているのか?明らかなことは権力を握りたい者同士が紛争をしていることである。権力への飽くことない欲求が、一部の人々を追い詰めているのである。

誰がこの悲劇を生んだのだろうか?それは一部の権力に憑りつかれた者なのではないだろうか?権力は人を追い詰めるのだ。