日本の闘いと世界の闘い

映画「海月姫(読み:くらげひめ)」を観た。

この映画は2014年の日本映画で、映画のジャンルは恋愛ドラマ映画だ。

この映画の舞台は、東京にある架空の町の天水町と、その天水町という町にある天水館というアパートだ。

この映画の主人公はこの天水館に住む、海月(くらげ)オタクの海月(つきみ)だ。天水館には他にも、三國志オタクのまやや、鉄道オタクのばんば、和物オタクの千絵子、年配の男性が好きなかれ専のジジという、つきみと合わせて、5人の名付けて尼―ズという、オタクが住む。

それに加えて、この映画のつきみと共に、主要な登場人物となるのが、天水町から選出されている政治家の一家の鯉淵家の女装趣味を持つ息子、蔵乃介と、その兄、修、愛称しゅうしゅうだ。

天水館の5人の尼―ズは、男を必要としないオタクな女性たちだ。天水館の5人は、同じアパートに住む姿を見せない少女漫画家の言葉を箴言として、日々のオタクな生活にいそしむ。彼女たちの敵は、オシャレな女性たちだ。

尼―ズのメンバーは、オシャレな街である渋谷に集うオシャレな若い女性たちを極度に恐れている。つまり、同年代のリア充を恐れている。それは、今の自分たちがニートで自立した生活ができず、彼氏もおらず、リア充のオシャレな女性から馬鹿にされる存在だと、尼―ズの5人は思っているからだ。

海月オタクのつきみと親しくなるのが、女装男子の蔵乃介だ。つきみの母親は既に亡くなっている。蔵乃介の母親はファッションデザイナーで、今はパリに住んでいる。つきみは東京に上京してきた女の子で、親の仕送りで生活している。蔵乃介は内閣総理大臣の息子で、蔵乃介の家は家というよりもお城の、大金持ちだ。ちなみに、蔵乃介の父親の所属する政党は民自党という政党で、自民党をもじったものだろう。

天水町にも土地の再開発の話が持ち上がる。古くから残る建物を壊して、新しいホテルやビルを建てる計画が持ち上がっている。その際に、住人は立ち退かされる。つまり、天水町に住んでいる天水館の5人は路頭に迷うことになる。

5人に残されているのは、実家のある故郷に帰るか、ホームレスになるかだ。なぜならニートである5人に仕事がないからだ。まぁ、住む場所を失って一念発起して、仕事に就き、愛するオタクな生活をやめて、自立して生活をするという道もあるが。

ただ、5人は再開発される前の町に愛着を持っている。生まれた土地ではない天水町は、渋谷などの開発が進んだ地域と比べて、かなり住みやすい土地だ。そして蔵乃介も、天水町に愛着を持っている人物の内の1人だ。

きっちりと綿密に計画され整った街にはない良さが、開発の手が及んでいない天水町にはある。それは2階建ての住居兼お店のような建物や、ブロックの塀や、時折ある木々や、それらが持つ、生活感のあふれる安心できる雰囲気だ。

それは、人の心を和ます。新しく開発された生活感のない、すきのない街より、どこか昔の香りがするような生活感が否定されない町。そのような町に、蔵乃介のようなお金持ちの大学生も愛着を示す。冷たい街ではなくて、皆が求めているのは、ニートでも包摂される暖かい街だと、この映画は観る者に訴えてくる。

都市の再開発の話は、珍しいものではない。古くなった町は、新しい冷徹な街に作り代えられる。新しく作り代えられた街は、金持ちが住みやすい街だ。何をするにもお金がかかり、金銭的に豊かではない庶民には住むのが苦しい街だ。

開発が行われて、住民は土地を移らなければならない。それは、第三世界で土地を追われる現地民の姿と重ねることができる。第三世界では、多国籍企業が、現地民の土地を奪い、生活を奪っていく。当然、現地民のそれまでの自律した生活も奪われる。

土地を奪われ、食べ物を作る手段を奪われた現地民たちは、飢餓に陥ることになる。多国籍企業に土地を奪われる人たちだけではない。第三世界の一部である、例えばソマリアという国は内戦で、土地に住めなくなって難民になる人たちが大勢いる。

ソマリアに住めなくなった人たちは、難民として隣国から隣国へ移り、アフリカのリビアに辿り着く。そしてそこで、捕らえられ人身売買される。その売買はフェイスブックを使って行われる。人身売買の他にも、拷問やレイプも行われる。

アフリカのリビアに難民となってやってきた人たちの目的は、ヨーロッパにボートを使って亡命することだ。しかし、国連は難民の亡命受け入れに積極的ではない。リビアでは、国連の支持で、リビアの軍隊がヨーロッパへの亡命者を捕らえて、連れ戻している。

また、ヨーロッパの国々も難民の受け入れには否定的だ。しかし、アフリカの各地の飢餓の原因である戦争の原因は、欧米や、ロシア、最近では中国が、アフリカの資源を欲しがるからだ。資源の元締めの立場を得るために、軍隊が戦いを繰り広げる。

資源を欲しがる国があるから、資源の供給元の権利を獲得しようとして、軍事的対立が起きる。その際に、武器をアフリカ大陸に輸入しているのは、欧米諸国だ。そして、そのようなアフリカに干渉する国は、アフリカの人たちを軍事訓練している。

軍事的対立が生じている時は、多国籍企業にとってのチャンスだ。国の状況が不安定な時期に、資源の供給体制を作り上げて、安く大量に資源を手に入れることができるようになるからだ。その時、多国籍企業は、現地の人たちの生活のことなど考えていない。

つまり、第三世界で行われていることと、日本の再開発が行っていることは似ている。既存の生活を壊して、新しい人を無視したものを作り上げる。第三世界での戦争は、日本ならば、再開発企業と再開発反対の住人達との闘いだ。

天水町で行われているようなことは、世界中で見られる闘いだ。それは、貧しいものと富めるものの闘いだ。ニートと呼ばれて、世の中の惨敗者として扱われる者たちと、金持ちの生活を信望して、再開発のようなものに迎合する人たちとの闘いだ。

その闘いのある様子を描いたのが、この映画「海月姫」だ。この映画「海月姫」では、最初は、つきみたちは、闘うことを恐れている。闘うことによって傷つくことが恐いからだ。しかし、再開発という貧者を無視した行為を止めるには、闘いを避けることはできない。

そして、そのつきみたちの闘いとは、自分たちで服を作り上げて、それを世の中に発表して、天水館を買い取るお金を手に入れることだった。この映画は、恋愛映画の形を借りつつも、実は世界に共通する、貧者と富める者との闘いを描いた映画でもある。