共同体が答えを持っている場合

映画「宮本から君へ」を観た。

この映画は2019年の日本映画で、映画のジャンルはドラマだ。

この映画は成長の物語ということができる。誰の成長か?それは特にこの映画の主人公宮本武夫という男の成長だ。そして、この映画で描かれる成長とは、従来の宮本の価値観が壊れて、宮本の中に新しい価値観が生じることだ。

この映画の中で宮本が当初生きるためにすがっているイマジネーティブなものとは一体何か?それはある意味で封建的なもののように思える。

宮本の中には当初、幸せな家庭というものがあるようだ。父は働き一家を支えて、母は内助の功で家庭を守り、子は結婚と出産に向かってわき目もふらずに生きるというような。

そこでは、男は社会に出て働くが、女は家庭の中で生きるという暗黙の前提がある。この映画では、その暗黙の前提に宮本が従っているように見える。そうつまり、宮本は封建的な枠組みに捉えられている。

宮本は映画を観る限りこう思っている。「俺がお前を幸せにする」と。しかもこれは「お前の幸せは俺が知っている」と言っているのと同じだ。中野靖子というヒロインの幸せは、主人公となる宮本がすべて理解しているというのだ。

ここに宮本が成長するポイントがあるようだ。

ざっくり言ってしまえば、この映画の中で明らかにバイオレントなのは、ヒロイン靖子へのレイプだ。合意無きセックス。アマゾン・プライムのドラマ「アップ・ロード~デジタルなあの世へようこそ~」でも描かれているように、セックスには両者の合意が必要だ。

「アップ・ロード」では、コメディ・ドラマなので、このセックスの合意のシーンが滑稽に描かれている。(登場人物たちが、胸にテクノロジカルなグリーンのペンダントをつけて「私たちはセックスすることに合意します」とセックスの最中に言う。お互いのペンダントに向かって。)

合意無きセックスでも子供はできる。その子供を育てるかどうかは、子を育てる人が決定する。

この映画の中で当初子供はレイプによってできたのだと暗に示す。そしてそれは映画の最中にくつがえされる。靖子のお腹の中の子供は、宮本の子供か、靖子の元恋人の子供だとわかる。

ここでクリアされなければならないことは、誰の子であっても、自分の合理的な判断により育てると誓うかどうか?ということだ。

昔の日本では子は共同体の子供だった。子供が誰の子であるかはそこでは特に問題にならない。共同体が子供を育てれば、問題はそこで解決する。この映画は、そういった思考へと僕たちをいざなうものなのかもしれない。