自分の幸福は自分で決める

映画「ジュディ 虹の彼方に(原題:Judy)」を観た。

この映画は2019年のアメリカ・イギリス合作映画で、映画のジャンルは伝記映画だ。

この映画の主人公は、1939年のアメリカのファンタジーミュージカル映画である「オズの魔法使い(原題:The Wizard of Oz)」の主人公ドロシーを演じた、ジュディ・ガーランドだ。

ジュディは1935年にMGMと専属契約する。それがジュディのエンターテイナーとしての人生の始まりだ。映画の中で、MGMの社長のメイヤーはジュディにこう言う。「お前は田舎育ちで、顔もいまいちだし、父親はホモで、母親はステージ狂いだ」と。

ジュディが仕事の忙しさに忙殺されて、泣き言をいうとメイヤー社長が出てきてこのセリフを吐く。ジュディは仕事が理由でダイエットを命じられて、ダイエットの薬であるアンフェタミンという覚醒剤を飲まされて、睡眠がうまく取れなくなる。

映画「オズの魔法使い」で大スターになった後も、薬におぼれ、酒を飲み、離婚を経験し、子供とは離れ、夜にうまく眠れないというような状況が続いていた。大スターは幸福と一般的には思われているが、ジュディは幸福とは呼べない状況だった。

睡眠がうまくとれず、薬物に走り、酒を飲み、そして精神的にはうつ状態になっていく。ジュディは体調的には最悪の状況であり、スターとしてファンを獲得してはいるが、その成功と現実のギャップは開いたものだった。

ジュディには心休まる場所がなかったのだ。心休まる場所があれば睡眠もとれて、お酒も適量、薬はいらないはずだ。しかし、彼女にとっての家は安住の場所ではなく、帰ることは許されない場所だった。

彼女にとっての家をなくしたのは、MGMの社長のメイヤーだろう。大人が子供に対して、しかも影響力のある男性が、「お前に故郷はない。お前の家は仕事だ。休んでいる暇はない。ダイエットをするんだ」と逐一言ってくるのだ。

ジュディの安息を奪ったのは明らかに周囲の大人だ。大人が子供に対して強い影響力を持つのは当たり前のことだ。子供は自分で料理をすることはできない。親が子供を育てなければ、子供は成長しない。

子供は周囲の大人たちが育てる。家族や地域の住人が子供を育てる。ジュディにとって最悪だったのが周囲にいた大人がジュディの幸福はスターになって成功してリッチに暮らすことだと思い込んでいたことだ。

しかも、大人たちは思った。「ジュディをだしにして自分が幸福になりたい」と。その典型的な例が、ジュディの母親とメイヤー社長ということになる。

人にとっての幸福とは他人が決めることではない。他人がその人個人にとって何が幸福かを決めることはできない。人は選び取る必要があるのだ。何が自分にとっての幸福かを。

パターナリズムという言葉がある。父権的恩情主義というようなものだ。何が幸福かは父親のような偉い人が知っているという考え方だ。しかし、人には選び取ることも必要なのだ、何が幸福かを知っているのは個人だ。

このパターナリズムと個人の選択のバランスが重要なのだと。この映画は考えさせてくれる。ジュディが最後にステージで歌うことを選ぶような、いうなれば悲劇的な選択をする人が少なくなることを願いつつ。しかし、ジュディの選択は素晴らしかったと思いつつ。