真理による心の内側からの解放

 マーティン・スコセッシ監督作品、「クンドゥン(原題:Kundun)」(“法王猊下/ほうおうげいか”という意味)を観た。

チベットという国の法王猊下であるダライ・ラマ14世の若き日々を描いた映画である。時代は1930年代後半頃から始まる。

チベットの高僧が旅人に身をやつして、ダライ・ラマ13世の生まれ変わりであるダライ・ラマ14世をを探してる。チベットではダライ・ラマが死んでもまた子供として甦る(生まれ変わり)ということが信じられている様子である。(ベタに信じているのだろうか?)。

高僧は農家の子供であるハモがダライ・ラマ13世の生まれ変わり(仏陀の生まれ変わり)であると予感し、ハモにダライ・ラマの所有物とそうではないものから、ダライ・ラマの所有物を当てるという試練(?)を行う。

見事にハモはダライ・ラマの所有物を当てて、ダライ・ラマ14世になる。幼少期は生意気で腕白だが、少年期、青年期になるとダライ・ラマ14世は落ち着きを持った誠実な人間へと成長している。

チベットにとって、そしてダライ・ラマ14世にとって重要な事件が1949年に起こる。それは中華人民共和国の成立である。中国の代表、毛沢東チベットが中国の領土であると宣言する。

それによりチベットに力による中国への統合の圧力がかかるようになる。仏教国であるチベットは中国による強制的な統合に反発をする。中国は武力に訴えてチベットを占領して、ダライ・ラマ14世は隣国インドに逃れることになる。

この時の中国による“侵略”でチベットでは多くの死者が出る。チベットにとって中国はまさに無秩序の根源である。中国はチベットに旧体制から新体制に変わることを要求していて、チベットが自主的にその方向へ移ろうとしたその矢先に、中国はチベットに対して武力行使を始める。その結果中国がチベットを占領するのである。

ダライ・ラマ14世はこの事実をいったいどのように見ていたのであろうか?チベットは仏教を主とする国であった。よってダライ・ラマ14世の見世観にも仏教の考えが深く影響しているようである。

ダライ・ラマが唱えるのは「真理」という言葉である。それはキリスト教的な汚れを知らない真理ではなく、苦しみ、汚れのある真理への教えである。ダライ・ラマ14世は言う。

すべては無に還る。現実もいずれは夢となる。ならば現実とは何か?それは真理である。徳のある者が、苦役から解放されて、善を行い目覚めることができる。中国はチベットを旧体制から新体制へ解放するというがそれはおかしい。私を解放するのは私自身である、と。

真理こそが現実なのでありそれが私自身を解放するのだ、と彼は言う。中国の侵略は表面上の解放なのかもしれないが、それは多くの血を流す。真理による内側からの解放こそが、望まれるべき非暴力での解放を行うのだと。