規範に縛られ過ぎた大人達、無邪気な子供達

 映画「アイス・ストーム(原題:The Ice Storm)」を観た。

 この映画は2つの家族を中心とした映画である。片方の家族の息子はトビー・マグワイアサム・ライミのスパイダー・マンシリーズで有名)が演じており、もう片方の家族の息子はイライジャ・ウッドロード・オブ・ザ・リングで有名)が演じている。

 2つの家族の父と母はそれぞれ相手の家族のそれぞれの相手(男→女、女→男、要するにストレートな性愛関係)と不倫関係にある。またトビー・マグワイアの演じる息子の妹は、イライジャ・ウッドの演じる息子とセックス・フレンドである。

 この2つの家族は表面上うまくいっているようにどうにか取り繕っているが、実際のところ夫婦関係はいまいちで、兄弟(ウッド側)、兄妹(トビー側)間も、いまいち釈然としていない。この映画のタイトル「アイス・ストーム」のように凍えている家族である。

 ではこの映画のラストで凍えきった家族に対する処方箋は出されているのか?答えは出されていない。ただ我々は凍えきった家族の在り方を、まざまざと見せつけられるのである。

 この映画に出てくる大人達は、子供達に対して性的純潔を求める。自分たちが不倫をしていても、子供達には「清く正しい性生活」を求める。「あなたの体は聖堂なの」穢してはいけないの!!と。

 このような大人の姿は失笑ものである。自らの心が作り出した規制を犯したことに対する罪悪感が、子供達に必要以上な純潔を求めるのだろう。

主人公の母親の姿は痛々しい。人間の知性が作り出した規範にがんじがらめになっている。彼女は新興宗教の牧師に言われる。「あなたは人間より本を信じているようだ」。彼女は自分の娘に言う。私はあなたが輝いて見える。あなたは昔の私のようだと。

彼女は自分の娘がしていたように自転車に乗り、娘がしているように万引きをする。つまり、彼女はその時は、規範から遠のいて子供に戻っているのだ。規範から遠のいたことにより、自身の中にある性の情動が解放されて、その時彼女は夫とセックスができる。

彼女はコントロールが効き過ぎて、自身の持つ情動にうまく向きあうことができなくなっているのである(セックスに対する抑圧と窃盗に対する自己規制が連動しており1つが解放されるともう一方も同時に解放されてしまう)。彼女はルールに縛られ過ぎて、ルールを破るということでしか自分の欲動に素直に向き合うことができないのである。

人間の情動というものは、理解しがたく、人の持つ知性とか理性といったものと強く反発しあう。自分の中にある情動を心の奥深く、深くに抑えつけようとすると、人はますます統制が効かなくなっていく。

理性と情動の拮抗がここに描かれている。ちなみにこの映画は、感謝祭の時期に起こったという設定だ。

 

※劇中のトビーは童貞という設定。対するイライジャは神秘主義者で童貞ではない。

 

※劇中のイライジャは自然的な存在である。科学や数学の中に神秘を見出し、自分は付き合うという規範に縛られていないと、通常の浮気行為を認めようとせず、アイス・ストームの氷の世界の中で落雷で倒れた電柱の電気で死ぬ、つまり自然と合一する。理性で縛ることのできない自然なのだ。