弱者の心境を想像する

映画「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(原題:Lo chiamavano Jeeg Robot)」を観た。

この映画は2015年のイタリア映画で、SFアクション映画である。

この映画の主人公はイタリアのローマのチンピラであるエンツォ・チェコッティという男である。エンツォは警察に追われて逃げる時に偶然ラヴェレ川にある放射能廃棄物の中に入ってしまう。

エンツォはセルジョという格上のチンピラに盗品を売って生活している。そのセルジョとは別に格上にジンガロという男がいる。そしてその格上にはヌンツィア・ロ・コジモというマフィアの女性がいる。

ある時ジンガロはヌンツィアから麻薬を受け取る。ヌンツィアはジンガロに麻薬を渡す代わりにその売り上げの金を貰おうとしている。ジンガロにヌンツィアは麻薬をさばかせているのである。

その仕事に下っ端として雇われたのが、主人公エンツォとその兄貴分であるセルジョだった。2人は麻薬を受け取る役割である。その麻薬はイタリア語を話さない黒人の青年の体の中に入れてあるのである。

麻薬の受け取りの際にトラブルがあって、エンツォは銃弾を体にくらい8階か9階の高さから落下する。しかしエンツォの体には何の影響もない。エンツォはテヴェレ川の放射線廃棄物により超人的な肉体と力を手に入れていたのである。

エンツォの超人的な力を見て、エンツォを鋼鉄ジーグと呼んだのは、セルジョの娘アレッシアであった。アレッシアはエンツォのことを、正確には司馬宙(シバヒロシ)という名のヒロシを省略してヒロと呼ぶ。

アレッシアはエンツォに対してその力で人々を救ってと訴え続ける。エンツォはその問いかけはただ虚しいものでしか最初はなかったが、映画の最後にエンツォはヒーローとして立ち上がる。それはアレッシア自身が助けを求める弱者の一人だったからである。

アレッシアは父に犯されて育っていた。そしてアレッシアは精神を病んでいる。アレッシアは負の日常からの脱出を心の底から望んでいたに違いない。

聖性というのは弱者に降りて来るものだと言われる。弱者こそが日常の雑多な出来事の中から尊いものとそうでないものを見分けることができるのである。なぜなら弱者と強者の立場は違うものであり、弱者の視点からしか見えないものがありえるからである。

それは不思議なことでもなんでもない。そして強者には弱者の心を想像することが必要なのである。