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法という秩序

映画「リバティ・バランスを射った男(原題:The Man Who Shot Liberty Valance)」を観た。

この映画は1962年に制作されたアメリカ映画で、荒廃した西部の街が、法という秩序を持つまでの期間を描いた映画である。この映画の主要人物は、ハリーとランス・スタッタード、トム・ドニファン、リバティ・バランスである。

ある日、ランス・スタッタードは弁護士に成りたてで西部に出てくるが、西部に入った後の旅中で、強盗であるリバティ・バランスに襲われる。ランスはその時怪我を負うが、そこで助けてくれたのが、トム・ドニファンとハリーであった。

西部では法が行き届いておらず、暴力が法に代わって支配のための道具になっていた。ピケットワイヤという土地(トムとハリーとリバティが住む)も西部の一部だった。当然ピケットワイヤという土地も法ではなく暴力によって支配されていた。

そこに法を持ってやってきたのがランス・スタッタードである。ランスは法を持って無法地帯の一部であるピケットワイヤにやってきたその日に、強盗にされるがままに襲われるのである。いくらランスが法を説いてみても、リバティたちに通じることはない。

法とは社会にいるみんなの合意により作られたものだとされる。みんなで決めた法だから、みんながその法を守るのである。法とは特に憲法とは、みんなから統治権力への命令である。つまり憲法は統治権力が暴走するのをみんながおさえつけているという形をとる。

みんなが支配する、みんなのための統治権力が、みんなの利益になることを決めているのが法である。つまり法には集団が生活してくための知恵が詰まっていることになる。

集団が円滑に生活してくために必要な法を守らない無頼漢がいる。無頼漢たちは暴力で法を犯すことにより、みんなの合意を破っている。しかし、法を行使することができなければ、世の中はならず者たちの思うがままである。

つまり“みんな”の側も無法者に対する暴力装置を必要とする。それが軍隊であり警察である。しかしこの映画中に登場する保安官のように無法者を怖がって無法者たちが野放しになってしまうと、法は必要な時に使用できなくなる。

この映画の場合、警察の代わりに法を守るの者が、トム・ドニファンという男である。リバティ・バランスという大きな牧畜業者たちが操る無法者は、ランスたち弱き小規模農業者や商店が票の力で、大規模で少数からなる牧畜業者を倒すことをやめさせようとして、暴力を使う。

そこに立ち向かうトム・ドニファンは法のためというよりは、ハリーという自らが愛する女性のためにランスの助けをする。ランスに夢を見たハリーの思いは、トム・ドニファンの影の活躍で果たされるのだ。

 

※トム・ドニファンという映画上最強の暴力装置は、大規模牧畜業者の悪を正すためではなく、愛する人の夢のために暴力を使い、結果的に愛する人を救い、悪である大規模牧畜業者の思惑を潰すのである。