結局はお金?

映画「黄金狂時代(原題:The Gold Rush)」を観た。

この映画は1925年のアメリカ映画で、映画のジャンルは喜劇だ。またこの映画はサイレント映画で、後に音声と解説を付けたバージョンが制作され、筆者が観たのはこのリニューアル版だ。

この映画の主人公は探検家ということになっているが、ビジュアルを観れば誰もが「これはチャップリンだ!!!」とわかるはずだ。化粧をした小男で、帽子を被り、スティックを手に持っている。常に目ははっきりと見開いていて、滑稽なしぐさをよくする。

チャップリンの一連の映画での統一されたビジュアル像がこの映画でも描かれている。この映画を撮った時期にチャップリンは19歳年下の女性と結婚している。その女性は結婚当時16歳で、アメリカのカリフォルニアの法律では違法とされたために、メキシコで結婚している。

この2度目の結婚の時期に作られたのがチャップリンの代表作と言われることもあるこの映画「黄金狂時代」だ。映画の舞台は、アラスカ。アラスカに金鉱を見つけるために多くの人がやってきている。

冒頭でたくさんの人が山に登る様子が描かれているが、その画面に映る人の多さに圧倒される。これを巨大なスクリーンで観たら、きっと大迫力に違いない。この映画に出演しているエキストラの数は600人だ。

ネットフリックスの簡潔な画面とは対照的にこれでもかと広大な景色を映し出す。きっとネットフリックスの簡潔な映像の作品は、家の室内で観られることを考慮して作られているのではないかと、思ってしまうほど、この映画での人の映り込む数は多い。

スマホタブレットの画像では、点にしか見えないような映像も巨大スクリーンなら、大きな人物としてとらえることができる。この映画の大晦日から新年にかけての酒場のシーンも人の数が多く、みんなで輪になって蛍の光を歌うところなんかは大スクリーンでも観てみたい。

この映画で特に印象に残るのは、コミカルなコメディ・シーンもだが、その他にもこの映画で目を見張るものがある。それは映画の女性描写の巧妙さだ。この映画にはジョージアという女性が登場する。

ジョージアはいわゆる酒場の女性だ。ダンスしたり、客と話したりなどしているのが彼女たちの仕事だ。この辺りの様子をもっと具体的に描いているのが映画「許されざる者」だろう。映画「許されざる者」では、女性が酒場で売春をしていてその客とのやりとりが原因で事件が引き起こされる。

女性がいる酒場と言えば、1階が酒を飲む場所で、2階が売春をする部屋というのが定番の設定だ。この設定は西部劇にみられる設定で、お決まりのパターンだ。酒場で男たちがたむろしていると問題がやってくる。

さて、この映画の女性はイエスですべて通してしまう受け身な女性だ。自立した女性を描いているわけではない。いわば売春宿に囚われている女性だ。この女性が、経済的に自立できないさまが残酷に描かれているのがこの映画だ。

女性は従属する性で、力では男に逆らうことができない。お金も男のところに集まるので結局は自分を好きな男についていくしかない。好きか嫌いかよりも、お金を持っているか、頼りになるかならないかだ。

この女性の描き方しかできない時代には、結婚によるエンディングも幸せな結末には見ない。どうしても結婚させられている感が出てしまうのだ。また、結婚させられている感が出てしまう映画は正直な映画と言えるのだろう。