アメリカから、環境から見放された人たち

映画「カリートの道(原題:Carlito’s Way)」を観た。

この映画は1993年のアメリカ映画で、映画のジャンルはアクション・ドラマだ。

この映画の主人公は、カリート・ブリカンデ、別の名を、チャーリーという男だ。カリートは、麻薬の販売をしており、殺人をしたこともある。カリートは警察に追われる身になり、5年間刑務所に入っていた。カリートが刑務所から出た時から、この映画は始まる。カリートを刑務所から出すのは、デビッド・クラインフェルドという弁護士だ。デビッド、通称デイブは、何度もカリートを刑務所から出している。そのデイブのことをカリートは友達だと信じている。カリートを演じているのは、映画「ゴッド・ファーザー」シリーズで、イタリア系のマフィアのボスを演じているアル・パチーノだ。つまり、この事実からわかるように、カリートの見た目はイタリア系だ。だが、この映画「カリートの道」では、カリートはイタリア系のマフィアではなく、ニュー・ヨークのプエルト・リコ系のギャングの尻もちの役割として出てくる。つまり、カリートプエルト・リコに移民したイタリア系の移民の子供ということになるのだろうか? それとも、両親がイタリア系と、プエルト・リコ系であるということか? それとも、たまたまニュー・ヨークのプエルト・リコ系移民の住む場所に住んでいたイタリア系だったのか? それはよくわからないが、この映画でのアル・パチーノ演じるカリートは、プエルト・リコ系の移民の間でのし上がってきた男だということだ。イタリア系の見た目で、プエルト・リコ系の仲間を持つ、もしくは、プエルト・リコ系の人たちが住む場所で生きてきたのが、このカリートという人物だ。カリートは、プエルト・リコ系が移民が多く住む場所で麻薬を売買して、貧困の生まれながら、そこから無教養でもお金が多く手に入る暗黒街の住人になった。生まれも育ちも暗黒街で、少年の頃からナイフや銃を持ち歩いていた男がこのカリートだ。

プエルト・リコは、19世紀からアメリカの一部となっている。その前は、スペインの植民地だった。プエルト・リコの人は、アメリカからの独立を望んでいる。プエルト・リコ人によるアメリカへの反抗も起こっている。現在(2018.9.19 “Hurricane Colonialism:The Economic, Political, and Environmental War on Puerto Rico” Intercept )のプエルト・リコは、借金の返済に追われている。プエルト・リコの借金の額は1200億ドルだ。その借金のせいで、ヘルスケアや再分配が削られ、3万人の公共事業の就業者が解雇され、何百の学校が閉鎖されている。1918年にプエルト・リコでは、地震津波が起こり、ハリケーンが来て、大恐慌に見舞われ、プエルト・リコは貧困に陥った。その期間は、既にアメリカの統治が始まっており、貧困の問題などがあり、1935年にプエルト・リコの人たちはアメリカにプロテスト運動をしたが、警察により潰されている。その時の、プエルト・リコ市民の死者は4人だ(2023.12.23閲覧 “Puerto RicoWikipedia)。同じ国であるが、プエルト・リコよりも豊かなアメリカ本土に移民しようとする人の動機は、プエルト・リコの悲惨な状況を考えればわかることだ。災害に襲われ、貧困に陥り、生きていくためには、アメリカ本土に移るしかない、というのがプエルト・リコ人の現状だ。同じアメリカでも、プエルト・リコという場所は、アメリカ政府からいじめられる存在だ。そして、それは2018年になっても変わらない状況だったということだ。プエルト・リコからアメリカ本土にやってきたプエルト・リコ人が出会うのが、そこでもまた貧困だ。1990年代のアメリカでも、プエルト・リコ系の移民は貧困の中で暮らしていた。

その状況を背景として描かれるのが、この映画「カリートの道」だ。1960年代のニュー・ヨークに移り住んできたプエルト・リコ系移民も貧困の中にいた。この映画の舞台の、1990年代のニュー・ヨークのプエルト・リコ系の人たちも、稼ぎの良い合法的な仕事に就くことができず、麻薬を売買してお金を得ている。プエルト・リコ系の人たちは、お金がなく、アメリカで学校に行くわけでもなく、安い賃金で雇われて、アンダークラスから抜け出すことができず、手っ取り早くお金を得るには麻薬を売るしかない。そんな、プエルト・リコ人のケツ持ちをする、プエルト・リコ人並みに不遇な状況に置かれたイタリア系の白人が、きっとチャーリーことカリート・ブリカンデだ。生きている環境が人間を左右する、というのがこの映画の大前提としてある。つまり、まともな仕事に就くことができない環境に置かれたら、その人たちは違法でも生きるために法を犯すしかない。カリートは、そんな状況に置かれた白人だ。イタリア系は白人だが、プエルト・リコ系の人たちと生活は変わらない。白人でも支配階級に入ることはできない。人種は、その人のアメリカでの地位を決定するが、その決定が完璧なものではない。そのルートから零れ落ちる人たちもいる。その代表例がカリートだ。カリートは白人だが、置かれた環境のせいで、麻薬を売る闇の社会で生きるしかない。

そのカリートは、ハンサムだと女性から言われるのだが、刑務所から出所して就いたクラブの仕事をして大金を稼いでいても、女遊びはしない。カリートには心が惹かれる、刑務所に入る前に付き合っていた恋人がいる。その女性の名は、ゲイルという。ゲイルと聴いて思いつくのは、ゲイル語だ。ゲイル語が話されていたのは、ユナイデッド・キングダムの中にある地域なので、ゲイルは白人の女性のU.K.系の血筋を引く人だろう。カリートはバレーの踊りの練習をするゲイルを、雨に打たれながら、ごみ箱の蓋のかぶせる側を上にしてゴミ箱の蓋を一応の雨よけに使いながら、じっと見ている。ゲイルは、カリートにとっては、自分とは違う上流階級の女性として存在する。ゲイルはバレーができる。そのことが、とても象徴的だ。プエルト・リコ系の人が、アメリカ本土のバレー教室に通えるか? それは、とても厳しいだろう。だが、映画が続くうちに、ゲイルは自分の夢であるバレーのダンサーではなく、ナイトクラブで働くポール・ダンサーで稼いでいることがわかる。ゲイルは、人生を挫折しかかっている人だ。カリートとゲイル。なんとも切ない2人。

この映画「カリートの道」は、カリートを何度も出所させているデイブという弁護士とのカリートの友情と、ゲイルとカリートとの恋愛のどちらが果たしてカリートにとって良い道なのか? という選択を迫られる状況に、映画の終盤ではなっていく。貧しくても、コミュニティは作れる。コミュニティは学歴がない人にとって、自尊心の糧になる。そのコミュニティに翻弄されながら生きた、カリートという男の幕引きがこの映画で描かれている。