映画「マタンゴ」を観た。
この映画は1963年8月11日に公開された日本の特撮ホラー映画である。この映画には重荷7人の登場人物がいる。
笠井雅文(会社社長)、作田直之(笠井の部下)、吉田悦郎(推理作家)、関口麻美(歌手)、村井研二(大学助教授)、相馬明子(大学教授の部下)、小山仙造(臨時雇いの水夫)の7人である。
映画の中で登場人物の小山が言うように、この映画の登場人物は社会的地位が高い人たちである。社会的地位が高いとはどういうことか?それは経済的に安定しているということ、要するにお金を持っているということである。
この映画に登場する人物には、お金を持っているし、同時に理性的(つじつまがあった決定ができる)でもある人物が登場する。それは大学教授である村井という人物である。
村井は映画の最初から最後まで登場する唯一の人物である。村井は映画の中でこう言う。「人間は理性的でなければならない。利己主義にはしったり、動物的になってはいけないんだ」と。村井がこの発言をするのは一体どういった状況だからか?
それは7人が乗ったヨットが遭難して漂流し無人島(?)にたどり着き、食料が無くなってしまいそうな危機的状況だからである。
7人が漂着した島の食料は徐々に尽きていく。しかしそんな中でも食べられるものが唯一最後に残された。それが“マタンゴ”という精神的高揚が得られるキノコである。食料が尽きそうな危機的状況である。食べられそうなものは食べてしまえばいいのではないか?しかしそのキノコを食べるのには問題があった。それはキノコ“マタンゴ”を食べると人間からキノコになってしまうのだ。
でもこう考えればいいのかもしれない。「キノコになっても生きていられればいいのじゃないか」
村井と明子は恋仲にあり、2人は最後まで毒キノコ“マタンゴ”を食べずに過ごしているが、明子はとうとうマタンゴになった元人間に捕まえられて“マタンゴ”を食べてしまう。
村井はこういう。「僕もきのこを食べて“マタンゴ”になってしまえば良かった。そうすれば彼女とずっと一緒にいられたのに。僕は彼女を愛していたんだ」。確かに村井の言う通りかもしれない。
そしてその気付きは最期の村井のセリフで決定づけられる。「東京もマタンゴとなって生きていくしかない島も同じことじゃないか!!」と。村井は危機的状況になって行った判断が通常時の日本においても当てはまるという。愛が得られるなら理性などいらないのであろうか?
※愛のためにマタンゴになるという村井の判断は理性的だろう。