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「海」と「彼女」と「教授」

 映画「ペーパー・チェイス(原題:Paper Chase)」を観た。

 主人公はハーバード大学の法学部の大学院生。学校生活は勉強の競争により切り詰められている。勉強が大変過ぎて、おちおち遊ぶ暇もない。

 ラスト・シーン、主人公は「海」に向かって「岩」の上に立って自分の成績表を紙飛行機にして投げる。その成績表の評価を彼は見ない。成績表の入った紙封筒は海の藻屑となる。

 主人公の投げた「成績表だった紙飛行機という人間の知性」は、「海」という自然の中に消えていく。これは、「人間の条理では世界を覆うことができない」ということを表しているのではないのだろうか?

 知性、理性の象徴が(実は)大学教授がA判定を付けた成績表で、海は条理では覆えない自然を象徴しているのではないのだろうか?

 又、主人公は教授の娘と映画の最初から最後まで、紆余曲折を経ながら付き合うのだが、彼女と主人公との付き合い方の変化が、主人公の知性や理性に対する評価の変化と対応していることが分かる。それはこんなエピソードからだ。

 主人公は彼女に「海」に誘われる。一度は断る。「教授に資料作りを頼まれたから」だ。その後のラスト・シーンでは主人公は彼女と一緒に海に居る。主人公は「彼女」=「自然」を受け入れるのだ。

 条理ではなくて、知性や理性ではどうにもならないものの存在を自分の中に受け入れる。主人公は「直観」で生きることをも受け入れるのだ。理性や知性のみではなく。

 

※大学教授が教えているのは契約法。

※教授の存在は父であり神(旧約聖書的な)ではないのか?

※写真的記憶能力を持った学生の男が登場するが、その特技は「ミレミアム」の主人公リズベット・サランデルを思い起こさせる。