悲劇としての男社会への反逆

映画「ハメット(原題:Hammett)」を観た。

この映画は1982年の映画で、映画のジャンルはノワール・サスペンスだ。

この映画は、おそらく、カリフォルニア州のロス・アンジェルスの中華街が映画の舞台だ。この映画の主人公は、サミュエル・ダシー・ハメットという中華街に住むハードボイルド探偵推理小説家だ。

この映画では、ハメットが書いている小説が、実際に映画中で起こることと重なっている。ハメットの小説なのか、映画の中の出来事なのか、よく見分けがつかないことが、この映画「ハメット」では起こる。

この映画は、2006年の映画の「ブラック・ダリア」の元になっている映画だと思われる。なぜなら、この映画「ハメット」と映画「ブラック・ダリア」のオチは、同じだからだ。お金持ちの醜態を隠すために、殺人が行われるというところが。

お金持ちのセックス絡みの醜態ということに関しては、最近の例で言うとジェフリー・エプステインの一連の当時の未成年も含む買春事件が、新しいところかもしれない。ジェフリー・エプステインの客には、トランプ大統領や、ビル・クリントン元大統領などがいる。ジェフリー・エプステインは、アメリカ合衆国の大物たちに若い女性を斡旋していたわけだが、その顧客リストは、ウェブ・ページで確認することができる。そのリスト中には、マイケル・ジャクソンレオナルド・ディカプリオ言語学者ノーム・チョムスキーの名もある。

映画「ブラック・ダリア」と、この映画「ハメット」のオチは同じだと書いたが、映画「ブラック・ダリア」は、有名な女性の殺人事件が元になっている。エリザベス・ショートという女性が、1947年1月14日か15日に殺害された。ショートの体は、上半身と下半身で切断されていた。その残酷な状態から、これは、女性に対する暴力の一種の現れであるという声が上がった。ショートの死体は、娘を連れた母親が見つけた。警察の状況証拠の杜撰さから、このエリザベス・ショートの事件は未解決のままである。エリザベス・ショートには、当時公開されていた映画「ブルー・ダリア」と、彼女が薄手の黒いドレスを好んでいたということから、“ブラック・ダリア”という名がつけられた。映画「ブラック・ダリア」には、このブラック・ダリアが、お金持ちのセックスに関する醜態と繋がっていたということが描かれるが、これは、この事件からインスパイアされて作られたもので、実際の事件は未解決だ。このインスパイアは、おそらく、この映画「ハメット」からきていると思われる。この映画「ブラック・ダリア」のジェームス・エルロイの原作が1987年に書かれていおり、映画「ハメット」は1982年の映画だ。ちなみに、ブラック・ダリアの小説の原作者のジェームス・エルロイは、子供の頃に母親が死んでいる。映画「ハメット」がジェームス・エルロイの小説「ブラック・ダリア」とその小説を元にして撮られた映画「ブラック・ダリア」(2006年)の着想の一助になっていると思われる。

映画「ハメット」、映画「ブラック・ダリア」、小説「ブラック・ダリア」、ジェフリー・エプステインの顧客リスト。お金持ちや、著名人が、セックス・スキャンダルを隠すために、セックス・スキャンダルを利用した女性を殺害するのが、映画と小説だ。ジェフリー・エプステインの事件に関わった、女性たちは心に問題を抱えているようだ。ジェフリー・エプステインの買春組織に関わった女性の中には、自殺した女性もいる。若い時代に買春に関わることが、いかにこの場合女性たちの心に影響を与えるか。それは、このジェフリー・エプステインの事件の女性のサバイバーたちの告白の難しさと、その告白から考えれば明確なことだ。ジェフリー・エプステインのような事件は、多くの被害者が生まれるのは、事実だ。

この映画「ハメット」は、中華街が描かれる。阿片窟に、買春、賭博。それを仕切っているのが、中国人の男だ。その、中国人の男の稼ぎの一部の買春には、ポルノ映画撮影が入っていた。買春のために買われてきた少女が、買春をすると同時に、そのポルノ映画に出演をして、買春客の中には、有力者が存在する。少女たちは、有力者が自分とセックスをしている写真を密かに撮影して、セックス・スキャンダルを恐れる有力者たちを脅してお金を、有力者たちから取ろうとする。

世界には、セックス・トラフィッキングの問題が今でもなお存在する。紛争地帯や貧困で孤児になった少女や、家が貧しくて売られた少女が、買春組織に入れられて、売春婦として生きていくことになる。そういう現実が世界では、存在する。選択肢があってからの選択が、僕は重要だと思う。選択肢が少なくて幸福になれる人も確かに存在する。ただ、選択肢が少ない人は、きっと自分の選択肢の少なさを、自分の苦境と捉えるに違いない。だから、選択肢は多い方が良い。その上で、自分の選択により自分の生き方を選び、納得して、自らの選択肢を生きるのが良いことだと思う。ただ、選択肢が多くて人は、幸福になれるとは限らない。選択肢が多くても、不幸な人は、存在する。

映画「ハメット」の中国人の買春宿の少女クリスタル・リンに、十分な選択肢はなかった。つまり、そこにはクリスタル・リンの生き方に対する、クリスタル・リンの合意がない。つまり、クリスタル・リンは、自分の人生が肯定できずに、苦境に陥っている。そこで、クリスタル・リンが思いつくのは、復讐と恐喝だ。男社会への復讐。それが、この映画「ハメット」のクリスタル・リンの思いついたことだ。そして、クリスタル・リンは、その大きな代償をおそらく払うことになる。その代償とは、自分の命だ。

映画「ブラック・ダリア」では、エリザベス・スローンという女性が、クリスタル・リンと同じ働きをする。男社会への反抗・反逆それが、映画「ブラック・ダリア」の本当のテーマなのかもしれない。この2本の映画「ハメット」と「ブラック・ダリア」では、男社会に反逆した女性が、男社会からしっぺ返しを受ける。それがノワール映画だと言ってしまえる。ただ、現実の世界も、まだまだ女性の権利が確立されているとは言えない。いまだに、地方に行けば、女性はパートタイムかアルバイトだ。女性が正社員になれないうちは、女性は男性と同等になることはないのかもしれない。女性が、働かないこと、つまり女性が資本主義の中で資本主義の中の反逆者であること、女性が家庭で生きることを肯定する見方もあると思う。ただ、それは、家父長制による男性の女性支配が、今後も続くことを意味していると、僕は思う。キリスト教・家父長制・資本主義、のような支配体制が続いても、幸福になれるのは、一部の男性たちだけだ。ただし、それを幸福と呼んでいいかは、非常に疑問が残るが。

この映画「ハメット」をハードボイルド映画だと、冒頭に書いた。ハードボイルド映画とは、この映画が、ジェームス・ブラウンの音楽のように、男の男の男の世界を描いた映画であり、そこでは、いつも女性が虐げられる。村上春樹の小説にも、ハードボイルドをタイトルにうたった小説があるが、ハードボイルド=かっこいいことではないということが、この映画「ハメット」を観て、思うところでもある。

 

https://www.ndtv.com/world-news/jeffrey-epstein-epstein-files-full-list-of-high-profile-people-named-in-unsealed-court-docs-4810003

 

f:id:nyfree:20250927063332p:image

映画「ハメット」 2m59s 書き上げた原稿をタイプライターから取り出すハメット Zoetrope Studios