コントロール欲

映画「ミッション:インポッシブル(原題:Mission Impossible)」を観た。

この映画はアメリカのテレビドラマ「スパイ大作戦」の映画化作品で、1996年の作品である。映画の舞台は前半では主にチェコ共和国の首都プラハであり、映画の後半ではアメリカ合衆国ヴァージニア州ラングレーである。

この映画はテレビドラマ時のタイトルにもあるように、スパイが活躍する映画である。この映画で主役となって活躍するスパイは、アメリカ合衆国のCIAの特殊作戦部隊のスパイで、通称IMFというスパイ・グループである。

この映画では主に4つの力が対立しているとみることができる。その4つの力とは①IMF②CIA③武器商人マックス④IMF(CIA)の裏切り者である。

CIAでは数年前から機密情報が外に洩れるようになっていた。そこでCIAは、CIAの情報を盗み出したアレクサンダー・ゴリツィンという男をでっちあげて、ゴリツィンが盗み出した情報が欲しい武器商人マックスがIMF職員を買収して、その買収した職員を使って、すでにゴリツィンが持っている情報とは別のCIAの情報を再度盗み出そうとしているゴリツィンを捕まえるというCIAが設定したう嘘の機会にマックスが買収した職員を送り込んでくるところを捕らえようとする作戦を立てていた。

つまりCIAは、武器商人マックスがCIAの情報を欲しがっているのを知っており、又、マックスがCIAの職員を買収しているのも知っていた。CIAの機密情報をマックスに洩らしているのは、CIAの中の裏切り者である。その裏切り者を捕まえるために、CIAは嘘の作戦を作り上げて、そこに嘘のCIAの情報を餌として与えたのである。

そのCIAのたくらみによって裏切り者として浮上したのは、IMFのイーサン・ハントであった。もちろんCIAの裏切り者はハントではなく、他のIMF職員である。

この映画では、裏切り者とCIAに示されたハントが自身と協力者たちによって、本当のCIAの裏切り者であるジム・フェルプスとジムの妻であるクレアとクリーガーを見つけ出して退治するという展開がみられる。

CIAの裏切り者たちのなかでリーダー格のジム・フェルプスはこう言う。「昔は冷戦があって、諜報員が国をコントロールする力を持っていた。しかし今ではアメリカでは大統領が力を持っていて、諜報員の思うように国は動かせないから面白くない。それに今の妻にも飽きている。だから大金を貰って好きなように暮らすんだ」と。

CIAの職員は国と言う大義のために働いているのではなかった。支配欲が職員たちの生きる糧だったのである。

劣等感

 映画「ヘッドハンター(原題:Hodejegerne)」を観た。

 この映画は2011年発表のノルウェー映画であり、ジャンルとしては犯罪(=クライム)スリラーである。この映画で映画の主人公はHOTE社という大企業の仕組んだ技術窃盗作戦に巻き込まれることになる。

 HOTE社は資金難に陥っていて、お金が無い。そこでパスファインダー社に秘密に社員を送り込んで、パスファインダー社の技術を盗んで、その技術により収益を上げようとしている。

 この映画の主人公ロジャー・ブラウンは、人材を引っ張り出してくる仕事、つまりある企業に依頼されて優秀な人材を依頼主のために獲得する、つまりヘッドハンティングする仕事をしている。

 ロジャーはHOTE社が技術を盗もうとしているパスファインダー社に雇われて、パスファインダー社のために人材をヘッドハンティングするヘッドハンターなのである。

 そこでHOTE社は自らの社員を自社から退職させたと偽って、パスファインダー社にスパイを送り込む作戦のためにロジャーを利用しようとする。HOTE社は映画中には出てこないが、パスファインダー社に雇われているヘッドハンターの身辺調査を極秘に行っていたのだろう。

 HOTE社はロジャーがヘッドハンティングする時には、ヘッドハンティングの対象者が所有している絵画を目当てにヘッドハンティングすることをつかんでいた。そこでHOTE社はロジャーの妻(ロジャーの妻はHOTE社の陰謀のことなど知らない)にある情報を流す。「クラス・クリーブという男がルーベンス(もちろん偽物)の数億クローネもする絵を持っている」。

 そしてロジャーはHOTE社の思惑通りに、クラスのルーベンスを偽物のルーベンスとは知らずにその実は偽物の絵画を目当てに、産業スパイ、クラスをヘッドハンティングするのである。

 さてロジャーは絵画を盗んで大金を稼いでいるが、何故そんな大金が必要なのか?それは自分の妻に浮気をされたくないからである。ロジャーは自分の妻ダイアナ・ストロームが自分の外見や中身でなく、自分がお金や物を持っているという点でロジャーに惹かれていると思っている。又、ロジャーはダイアナに愛を独占したいがために、子供をつくることを避けているのである。

映画の中でロジャーは排便にまみれ、血にもまみれる。前者はロジャーが適切でない排便との関係(適切な排便をしなさいという母の命令との逆)を持つことにより母性から脱し、後者では呪術的に豊穣を祈願しているのかもしれない。そしてロジャーは映画の最後に父になる(子をもうける)のである。

石油の利権のための悲劇

 映画「マイティ・ハート‐愛と絆‐(原題:A Mighty Heart)」を観た。

 この映画の舞台は2001年の9月11日後のパキスタンである。この映画の主人公はマリアンヌ・パールというフランス人のラジオ局専属のジャーナリストである。マリアンヌの夫ダニエル・パールはある日パキスタンでの取材中に誘拐される。そして夫は二度と帰らぬ人となるのであった。

 この映画はマリアンヌ・パールの手記「マイティ・ハート」が映画化されたものであり、この映画は実話ベースの映画である。

 2011年9月11日のアメリカ同時多発テロの実行者はオサマ・ビンラディンをリーダーとするアルカイダだとアメリカは断定する(アルカイダはこれを肯定もせず否定もしていない)。そしてアメリカはアルカイダをかくまうタリバン政権を攻撃した。これがアフガニスタン紛争である。

 ではこのアフガニスタン紛争とパキスタンと、パキスタンで起こったウォール・ストリート・ジャーナルの記者であるダニエル・パールの誘拐殺人とは一体どのような関係になるのか?これにはアメリカの思惑を知る必要がある。

 アメリカはトルクメニスタンの石油が欲しかった。石油をアメリカに輸出するルートは2つある。トルクメニスタンから左下に下るイラクを通過するルートと、アフガニスタンパキスタンを通る右下に下るルートである。

アメリカはこの右側のルートを作りたかった。アメリカと友好関係にあるパキスタンはこの思惑に取り入れることは簡単だが、もう一つのルートの通過国アフガニスタンはアメリカに反対する姿勢をとる国である。アフガニスタンの存在がアメリカの石油利権の問題の問題点となった。

アフガニスタンをどうにかして手に入れたいと思ったアメリカは、パキスタン政府に介入してタリブの神学生をアフガニスタンに送り込んだ。タリブの神学生とはタリバンのことである。アメリカはアフガニスタンを支配するために、パキスタン政府にタリバンを作らせたのである。

又、アメリカはビンラディン率いるアルカイダアフガニスタンに反アフガニスタン政府として送り込む。

アメリカはアフガニスタン政府を打倒するために、タリバンアルカイダを利用したのである。これが1996年頃の出来事である。しかし、タリバンアルカイダを利用するというアメリカの図式は1998年頃から壊れ始める。タリバンアルカイダアフガニスタンのようにアメリカに反抗しだすのである。そして2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが起こる。

この映画の舞台はアメリカと友好的な関係にあるパキスタンである。パキスタン内部にも反アメリカ的な動きが存在するのである。

パキスタンアフガニスタンイラクの隣国である。反アメリカの勢力がいても不思議ではない。この映画で描かれる事件は、中東の人々の中にあるアメリカへの怒りが現れている。映画中、記者の立場の中立性が言われるが、そんなことは復讐者たちには関係ないのかもしれない。

国民皆保険がない社会

 映画「摩天楼を夢みて(原題:Glengarry Glen Ross)」を観た。

 この映画は1992年に発表されたアメリカ映画で、原作はデヴィト・マメットのピューリッツァー賞文学賞を受賞した名作戯曲「グレンギャリー・グレンロス」である。

 この映画の舞台となるのは、ミッチ&マレー不動産の小さな支店の会社員たちである。不動産会社は何をして儲けているのか?不動産会社は土地を売って金を儲ける。どうしたら客は土地を買うか?その土地を買った後にその土地の価値が上がり、その差額が大きな収入になることを示せば、客は土地を買う。

 土地は必ず値上がりするのか?それは誰にもわからない。確かな価値など土地にはありはしないのだ。価値が上がるか確信を持てない土地を売るのに誠意は必要か?必要ではない。売り手が信じているのは、土地を売って得るお金であり、土地の値が上がろうか下がろうか関係ない。ただ今お金が入ってくればそれでいいのである。売り手にとって土地はただの商品に過ぎない。

 この映画の中には4人の営業者と1人の管理人が登場する。4人の営業の内のシェルドン・レビーンは娘がいるが、その娘は病気で入院している。アメリカで家族の1人が病気で入院するとどういうことになるのであろうか?

 それは一家の破産である。アメリカでは公的な医療保険が当時なかった(アメリカではオバマ大大統領が国民皆保険制度を実施しようとしたが、共和党からの大反発にあった。ちなみに共和党の支持母体には、公的医療保険が実施されていたら恩恵を受けるであろう、白人の貧困階級の人たちも含まれている)。

 アメリカで例えば現在でも盲腸の治療に100万円以上が掛かったということが言われたりしている。もし家族の1人が大病を抱えて入院ということにでもなったりすると、相当な出費が予想される(盲腸の手術の金額の例に戻る。上記の例は保険が適用されて100万円以下になったようで、実際に掛かった費用は500万円以上だったそう。ちなみに日本で盲腸の手術をして掛かる費用は10万円程度だそう)。

 シェルドン・レビーン(シェリー・レビーン)は娘の医療費を自分の仕事で稼ぎ出すために必死であるが、そんな時に本社からの使いの者がこう言い放つ。「4人の内1番と2番以外はクビだ!!」この言葉がシェルドンをいっそう追い詰める。そして追い詰められたシェルドンはいつも以上の大嘘をついて大金を得ようとするが、それも失敗に終わる。現代アメリカの悲劇を描いた映画であった。

個人の独創性と公共の利益

 映画「摩天楼(原題:The Fountainhead)」を観た。

 この映画は、アメリカのニューヨークに住む1人の建築家の男について描いた作品である。この映画の主人公である建築家のハワード・ロークは、過去になかったような独創的な建築を考える人物だった。

 しかしハワードの才能は周囲には馴染まないものだった。ハワードの建築に反対する人々はこう言う。「大衆に受け入れられるものを作れ。お前の建築は過去から逸脱してしまうような建築じゃないか。それじゃあ駄目だ。独創性など必要ない」と。

 ハワードの才能に反するような新聞社がこの映画には登場する。バナー新聞社という新聞社だ。バナー新聞社の総責任者ゲイル・ワイナンドはこう言う。「世論は私が作ってきた」と。そうなのだ、大衆をコントロールしているのは、新聞というメディアなのである。

 ゲイルのバナー新聞社は紙面にこう載せる。「ハワードの建築など必要ない」と。すると大衆はそれに反応して、ハワードの建築を不要なものとする。

 ハワードの大学の同級生であるピーター・キーティングは、建築を依頼されたが、自分の案というもの(オリジナリティ)がなくアイデアのあるハワードに助けを求める。そしてハワードの名を出さずにハワードの建築物が建つことになる。

 しかもハワードの建築が原案であることを知っている反ハワードの人々に、その建築物は、ハワードの独創性を台無しにしてしまうような装飾を与えられてしまう。それに反抗したハワードは自分の案とは違った建築物を爆破してしまう。

 ハワードの行為を、今度は擁護するようになった新聞社の総責任者ゲイルが、新聞で世論を操作しようとしたが、新聞社は反ハワードの勢力に乗っ取られてしまい、世論操作は成功しなかった。

 ハワードは建築物を爆破させたことにより訴えられる。そこでハワードは聴衆に対してこう訴える。「最初に火を発見した人がいる。火を発見した時のその気付きように、世の中はある人の独創性によって作り上げられてきた。人の持つ独創性は大切なものである。独創性とは人が生きていくために書欠かすことのできないものなのだ」。

 反ハワード派の言い分はこうである。「大切なのは自己犠牲の精神である。個人はなく、公共が大切である」。ハワードの意見ももっともだし、実は反ハワード派の言い分ももっともである。

 この映画ではハワードひいきに描かれているためかこういう反ハワード派の意見もある。「ハワードのような奴は刑務所に入れて精神自体を作り変えてしまえ!!」公共の利益のために個人の自由が犠牲になってもいいのだろうかと、この言い分は考えさせるのである。

 

※公共の利益と個人の自由との間の線引きは難しい。この線は絶えず更新されていくべきなのであろう。

理性は愛を目指すか?

 映画「マタンゴ」を観た。

 この映画は1963年8月11日に公開された日本の特撮ホラー映画である。この映画には重荷7人の登場人物がいる。

 笠井雅文(会社社長)、作田直之(笠井の部下)、吉田悦郎(推理作家)、関口麻美(歌手)、村井研二(大学助教授)、相馬明子(大学教授の部下)、小山仙造(臨時雇いの水夫)の7人である。

 映画の中で登場人物の小山が言うように、この映画の登場人物は社会的地位が高い人たちである。社会的地位が高いとはどういうことか?それは経済的に安定しているということ、要するにお金を持っているということである。

 この映画に登場する人物には、お金を持っているし、同時に理性的(つじつまがあった決定ができる)でもある人物が登場する。それは大学教授である村井という人物である。

 村井は映画の最初から最後まで登場する唯一の人物である。村井は映画の中でこう言う。「人間は理性的でなければならない。利己主義にはしったり、動物的になってはいけないんだ」と。村井がこの発言をするのは一体どういった状況だからか?

 それは7人が乗ったヨットが遭難して漂流し無人島(?)にたどり着き、食料が無くなってしまいそうな危機的状況だからである。

 7人が漂着した島の食料は徐々に尽きていく。しかしそんな中でも食べられるものが唯一最後に残された。それが“マタンゴ”という精神的高揚が得られるキノコである。食料が尽きそうな危機的状況である。食べられそうなものは食べてしまえばいいのではないか?しかしそのキノコを食べるのには問題があった。それはキノコ“マタンゴ”を食べると人間からキノコになってしまうのだ。

 でもこう考えればいいのかもしれない。「キノコになっても生きていられればいいのじゃないか」

 村井と明子は恋仲にあり、2人は最後まで毒キノコ“マタンゴ”を食べずに過ごしているが、明子はとうとうマタンゴになった元人間に捕まえられて“マタンゴ”を食べてしまう。

 村井はこういう。「僕もきのこを食べて“マタンゴ”になってしまえば良かった。そうすれば彼女とずっと一緒にいられたのに。僕は彼女を愛していたんだ」。確かに村井の言う通りかもしれない。

 そしてその気付きは最期の村井のセリフで決定づけられる。「東京もマタンゴとなって生きていくしかない島も同じことじゃないか!!」と。村井は危機的状況になって行った判断が通常時の日本においても当てはまるという。愛が得られるなら理性などいらないのであろうか?

※愛のためにマタンゴになるという村井の判断は理性的だろう。

特別な人たち

映画「マージン・コール(原題:Margin Call)」を観た。

この映画は、2007年に起きた世界金融危機の最中に破綻した、アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズ(リーマン・ブラザーズの破綻がその他の破綻の始まりとなった)を描いた作品であり、この映画の中ではリーマン・ブラザーズの社員がリーマン・ブラザーズの破綻に気づき、リーマン・ブラザーズの持つMBS(不動産担保証券)をリーマン・ブラザーズの破綻が世の中に知られる前に売りさばくまでの、24時間が描かれている。

ここで言われるMBS(不動産担保証券)とは住宅ローンの債権のことであり、つまりはサブプライム・ローンのことである。サブプライム・ローンとは何か?それは2001~2006年頃まで続いたアメリカの住宅価格の上昇を背景として、住宅や住宅以外のものを担保とした住宅ローンを証券化して、その証券を売り買いするというものである。

この住宅ローンはサブプライムな人たち、つまりプライム(優良客)でない“サブ”プライムな人たちのために発案されたのである。

当時のアメリカでは住宅の価格が次々に上昇していたため、その上昇率を見込んでいた。つまり住宅を低い値段で買って、その住宅を買った時より高い価格で売ることが可能だと思われていた。

アメリカの証券を評価する会社(格付け会社)もサブプライム・ローンは安全で儲かる証券であると言っていた。住宅の値段はこれからもずっと高くなる。よってその差額を見込んで人は住宅をローンしてでも買う。今住宅を買っておけば、将来今よりも高い価格で住宅は売れるだろうから。

いっそのこと住宅ローンを証券化して市場で売り買いしてやろう。住宅の値段は上がるということになっているから、住宅ローンの証券も、きっと高い上昇率を背景に売り買いがされるであろう。

住宅ローンは借金なのにそれが証券化されると優良商品となってしまう。そのからくりは謎である。

映画の中でリーマン・ブラザーズの社員はこう言う。「我々は一般人とは違うんだ。俺たちは大金を稼いでいて、学歴もある。どうせ会社が破綻してもしなくても、俺たちは悪く言われる。だったら会社が破綻して、一般人に影響が出ても知ったことか」と。

自分たちは選ばれた人間であり、一般の人々とは別の人種であるという価値観。これが金融界の人々の間の共通認識なのだろうか?