辛辣に真実を言うこと

映画「トーク・レディオ(原題:Talk Radio)」を観た。

この映画は1988年のアメリカ映画で、映画のジャンルはドラマ・スリラー映画だ。

この映画の主人公は、バリー・シャンプレーンというテキサス州ダラスの地方局KGABのDJだ。バリーはその局で、「ナイト・トーク」という番組を持っている。

バリーは、そのラジオ番組で、ラジオに電話をかけてくる聴取者に対して、辛辣な返しをする。電話の相手がユダヤ人差別者だったら、その相手を優しく説得する、ということはしない。

ホロコーストは存在しないという電話の相手に対して、そんな事実はないと、相手をわざと怒らすように、まくしたてる。バリーの言っていることは、正しいことが多いが、その言い返し方、言い方が、挑発的だ。

バリーの番組は、ラジオ聴取者との電話を通しての会話を放送するものだ。電話をかけている人と、バリーのやり取りが、人の興味をそそらないと、その番組は聴取率が落ちて、番組は打ち切り、バリーの持っている豪華な暮らしや、地位は無くなってしまう。

バリーは、金のためにラジオ番組を持っているユダヤ人だ。ユダヤ人差別を電話で公言するラジオの聴取者も、バリーがユダヤ人だとわかって、ユダヤ人差別をしている。その聴取者は、ユダヤ人であるバリーの辛辣なトークが気に入らないからだ。

バリーの毒舌が、人々の興味、人々の怒りを買い、番組は聴取率を上げていく。つまり、バリーは聴取者に嫌われれば嫌われるほど、自分の暮らしは豪華に贅沢なり、地位も上がっていく。その地位とは、特権階級の人に気に入られるというものだが。

映画の中に、バリーがバスケット・ボールの試合に呼ばれて、ゲストとして挨拶をするというシーンがある。その時のバリーの服は濡れている。なぜなら、その挨拶の前に、バリーは聴取者の女性に、顔に飲み物をかけられているからだ。

ゲストとしてバリーが紹介されると、バスケット・ボールの会場はブーイングに包まれる。客が総立ちでバリーに対して、親指を突きおろし、ブーイングをする。それが、バリーの生活が豪華で贅沢な証明だ。バリーは、嫌われることで生活を成り立たせている。

ラジオを成り立たせているのは広告だ。広告はラジオの番組の人気があればあるほど、そのラジオ局に舞い込んでくる。だから、聴取率のためにラジオ局はなんでもする。それは、バリーのようなDJを雇うラジオ局の姿勢にも現れている。

バリーが嫌われることを望んでいるのは、ラジオ局の経営者だ。バリーが嫌われれば嫌われるほど、ラジオ局のVIPたちは喜ぶ。バリーよりも経営陣やスポンサーの方が、バリーよりもよっぽどたちが悪い。それに加担しているのがバリーなのだが。

バリーのもとには、バリーの人種やホモセクシャルや麻薬に対する言動が気に入らなくて、苦言を呈するだけでなく、バリーのもとに脅迫の手紙を送ってくる者もいる。バリーは、その言動から、一部の人間から脅しを受けている。

この映画のバリーという人物には、実際のモデルがいる。実際に言いたいことを思ったままに言うラジオDJがいた。その人物の名は、アラン・バーグという。アランはその辛辣なトークがもとで1984年の6月18日に、右翼のグループに、彼の家の私設道路で、首や頭を打たれて死んでいる。アランは、狙って殺されたことが明らかになっている。

アランの殺された1984年のアメリカの大統領は、ロナルド・レーガンだ。つまり、アメリカの保守派が、アメリカを先導していた時期だ。

ロナルド・レーガンは、1981年にアメリカ大統領に就任している。レーガンとは、イギリスのサッチャー政権と共に、新自由主義を実行していった人物だ。レーガンは、アメリカの特権階級の意向に沿って政権を運営した。レーガンが推し進めた新自由主義的な政策を決定づけたのが、ワシントン・コンセンサスというエリートによる合意だ。

レーガンの経済的なやり方は、レーガノミックスと呼ばれる。それは日本では、中曽根から始まり、小泉、安倍へと受け継がれた新自由主義体制の見本だ。安倍首相の経済対策はアベノミクスと呼ばれることがあったが、それはもちろんレーガノミクスを意識してのことだ。

レーガンが行った主な政策の、主要なコンセプトとなっているのは、先ほど述べた新自由主義だ。つまり自由市場の推進、規制緩和、自由化、民営化などだ。その他にもレーガンの時代のアメリカの問題として、麻薬、人種差別、エイズ対策、労働組合対策などがある。

レーガンは、アメリカの麻薬所持者・使用者を厳しく罰した。最近のアメリカでは、アメリカの体に危険な不法なドラッグをなくすために、大麻を合法化するということが起こった。しかし、レーガンの場合は取り締まりを厳重化するという形で麻薬撲滅に取り組んだ。

レーガンは人種差別の問題には、積極的に人種差別解消の態度で挑んだ。がしかし、レーガンは同時に差別主義者でもあった。レーガンエイズの患者を見放した。エイズの感染が拡大しているのにも関わらず、感染拡大の防止の対策を怠った。

レーガンはまた、労働者の大量解雇を行った。イギリスのサッチャーが行ったことが、この新自由主義的な態度をより具体的に表している。サッチャーはイギリスの公営事業を縮小して、民営化した。それにより、経営の合理化のために多くの人が失業者になった。

そんな時代にラジオ局でDJをしていたのが、アラン・バーグという人物だ。アラン・バーグは、保守系の人の反感を買って殺された。つまり、アランはリベラルな発言をしていたということになる。

時代は保守勢力の全盛期だ。アメリカの保守とは国の機関の縮小を求め、人種差別をして、銃を持ち、妊娠中絶には反対で、ホモセクシャルを嫌う。その保守系の人たちに対して辛辣なユーモアで挑んだのが、アラン・バーグという人物だったのだと、映画からも推測できる。

映画のバリーがラジオ聴取者から嫌われた理由には、いわゆる精神異常者の人を突き放していくという態度をとったからでもある。精神異常者は狂ってるから病院が必要と言い、その人たちにも辛辣なユーモアで挑むのがバリーだ。

バリーが、なぜそのような態度をとったのか? それは、自分の地位と豪華な暮らしのためだ。つまり、バリーは精神的に落ち込んでる人たちを、自分の利益のために食い物にした。バリーは、ただリベラルで頭の回転が速い人というだけではなかった。バリーは実は、アメリカの保守のとった新自由主義と同じ、ハゲダカだった。

しかし、バリーがハゲダカでなければ、バリーの場合番組の知名度は上がらなかったのかもしれない。「教えて!ドクター・ルース」というドキュメンタリーがある。このドクター・ルースという90歳のセックス・セラピストは、ラジオやテレビで、聴取者や視聴者に寄り添い、時に相手から差別主義的な答えが来ても、相手を厳しく非難することはない。バリーとは対照的だ。

世の中には、真実を言って好かれる人と、真実を言って反感を買う人がいる。その違いがこの2本の映画を観ると、わかるかもしれない。