軍隊が破壊した人格

映画「サム・ペキンパー 情熱と美学(原題:Passion & Poetry:The Ballad of Sam Pekinpah)」を観た。

この映画は2005年のドイツ映画で、映画のジャンルはドキュメンタリーだ。

この映画は、アメリカの有名な監督サム・ペキンパーの生涯を追った映画だ。ペキンパーの性格や人柄が、知人や友人、家族、本人へのインタビューを通して描かれ、ペキンパーが残した映画について軽く触れられ、撮影時の逸話が語られる。

まずこの映画の映像や音楽を通じて伝わってくるのは、メキシコの砂漠の残酷な環境だ。映画中にサソリが画面に登場する。サソリが登場するサム・ペキンパーの映画と言えば「ワイルドバンチ」(1969)だ。

ワイルドバンチでは映画の冒頭でいきなり、子供たちがサソリが蟻に食われて死んでいくのを面白がって見ている映像が映し出される。それが、映画のオープニングの音楽をバックとして流される。

このシーンは、子供の無邪気さの残酷性を描きだすシーンだ。サム・ペキンパーは、人が観たがらない現実をみせる監督だと言っていい。僕たちの生きている世界は、美談に満ちている。

子供は、両親や家族の愛情に包まれて成長する。その子供は、優しく従順で明るく屈託がない。両親は子供を愛し、食事やおもちゃや、教育を子供に施す。家族の闇の部分は、決して人は表立って語ろうとしない。

しかし、ペキンパーの描く映画の世界はそれとは違う。子供はサソリの生命の終わりを嬉々として観察し、保安官や兵士は子供を殺す。ペキンパーの映画の世界は世の中の汚い部分、表面上のきれいさを覆す効果を持っている。

ペキンパー自体が、そういう人だったということもできる。ペキンパーは、ミソジニー、いわゆる女性嫌悪を表立って持っていた人物だ。映画の制作の過程で女性のスタッフをけなし怒鳴りつけた逸話を友人の俳優が語るし、女優の髪を引っ張っている写真が残っている。

ペキンパーの逸話は、ミソジニーだけではない。ペキンパーは、映画「ワイルドバンチ」の撮影移行身を持ち崩していく。原因は酒とドラックだ。ペキンパーは、海兵隊に入っていたこともある。海兵隊では男らしさを求められ、当然のようにそこでは暴力が支配している。

ペキンパーへのプレッシャーが、そこでは感じ取ることができる。ペキンパーは、男らしさという暴力の世界に生きていたのだ。ミリタリー・スクールから卒業して、海兵隊から除隊した後も。

ペキンパーは海兵隊から除隊した後に、歴史専攻で学校に入っている。そこに入学して好きになった女性が演劇をとっていたことから、ペキンパーは演劇の選考に変更することになり、そこからペキンパーの映画監督への道が開かれることになる。

女性好きで、ミソジニーサム・ペキンパーは女性に対して暴力的で、しかし女性がいないとやっていけない。女性が好きなら優しくする、だけではペキンパーは過ごすことができなかった。ペキンパーは、自分の中にある不安を女性に対して暴力的にぶつけていたのだろう。

ペキンパーの映画は、暴力を描いたものが多い。そしてそのペキンパーが、暴力的だ。多分それは、女性や子供に対してだろう。ペキンパーは砂浜に酒を埋めて、それが見つけられなくなり、妻や子供に酒を探させたという逸話も出てくる。つまりペキンパーにとって家族は、支配の対象だ。

ミリタリー・スクールや海兵隊でペキンパーが身につけたのは、支配者としての生き方だ。それは暴力的で自分勝手で、酒やドラックに対するセルフコントロールができずに女性に当たり散らす。

ペキンパーが身につけた処世術は、自分を、そして愛する人たちを傷つけてしまうものだった。ペキンパーの妹はこう言っている。「(ミリタリー・スクールや海兵隊の)あのてのしごきが人間を成長させるというのは嘘よ」と。

厳格な家族のもとで育ち、軍関連の学校で過ごし、兵隊になり、そこで処世術を身につけたペキンパー。監督としては今もなお評価される人物だが、彼も同じコーホートの持つ問題に悩まされる一人の人間だったことは認めざる得ない事実だ。