家父長制に抗う

映画「透明人間(原題:The Invisible Man)」を観た。

この映画は2020年のアメリカ・オーストラリア合作映画で、映画のジャンルはホラーだ。

この映画は、大林宣彦監督の映画「HOUSEハウス」と共通点がある映画だ。映画「透明人間」は、この「HOUSEハウス」という映画と共通点を持っている。その共通点とは、家父長制と女性の関係についての映画だということだ。

家父長制とは、日本でもお馴染みの古くからあるしきたりによる家制度のことだと言っていいと思う。父親である家長を家の軸として、その支配下に妻と子供が置かれる制度のことだ。父は家の代表としているだけ、母は家事をこなさなければならないというような。

この映画「透明人間」の主人公はセシリアという女性だ。セシリアはエイドリアンという天才科学者と結婚していて、2人は海の近くの豪邸に住んでいる。高級車に乗り、バイクも2台は持っており、黒くて血統の良さそうな犬も飼っている。

映画は、セシリアが、その豪邸から逃げ出そうとするところから始まる。なぜセシリアはそのリッチな生活を捨てようとしているのか?それは、実は秘密であるようで何の秘密でもないような理由だ。それは家父長制の強いる状態ということができる。

家父長制は前述したように、妻に女性に家の仕事を押し付けるシステムだ。この映画の主演女優のエリザベス・モスがインタビューでイエスと答えているように、現在の世の中にある強制的で、支配的な関係性についてこの「透明人間」という映画は描いている。

その強制的で支配的な関係性というのが、例えばこの映画「透明人間」で描かれる家父長制つまり、男性をピラミッドの頂点に置いて、女性をその下に置くようなシステムだ。この制度では女性が能力に関係なく男性の支配下に置かれる。

セシリアは家父長であるエイドリアンの支配から逃れようとする。そしてその支配は同時にエイドリアンの兄のトムの支配でもある。エイドリアンとトムの関係がわかった時に、セシリアが挑んでいるのは一人の男性だけではなく、その背後にあるシステムだとわかる。

セシリアは家父長制に挑む。すると必然的にそれは、社会制度そのものに挑むことになる。その社会は反対者つまり異端者をどのように扱うか?それはこの映画の中で明らかになる。家父長制の社会は、セシリアがどれほど合理的に思考していても、彼女を犯罪者もしくは、精神異常者として扱う。それが家父長制のこの映画でみられるやり方だ。

そう、当初映画は一夫婦の話で始まるのだが、映画が進むにつれてその夫婦というものがどういう背景によって成り立っているかがわかる。その背景とは冒頭から言っているように、家父長制のような強制的で支配的なシステムだ。それは例えば、家族や、警察、病院といったようなものだ。そのシステムから逆らうものは、それが真に合理的な行動であっても、すべて異常者とされる。

この映画では、映画のラストにこの世界の強制的で支配的なシステムにどう対処するかの一つの答えが示される。それはある意味で絶望的で、ある意味で希望にあふれたものだ。

この強制的で支配的な例えば独裁制のようなシステムにどう抗っていくのか?それがこの映画が私たちにもたらしてくれるテーマだ。