映画には夢がある

映画「月世界旅行&メリエスの素晴らしき映画魔術(原題=仏題:Le Voyage dan la Lune,英題:A Trip to the Moon&原題=仏題Le voyage extraordinarie)」を観た。

まず、月世界旅行の方は、1902年のフランス映画で、映画のジャンルはSFだ。次に、メリエスの素晴らしき映画魔術の方は、2011年のフランス映画で映画のジャンルはドキュメンタリーだ。

この映像作品は、メリエスの作った映画月世界旅行の本編と、その月世界旅行が現代に復刻されたいきさつについてのドキュメンタリーから構成されている。メリエスの作品の舞台背景やメリエスの人生、そして月世界旅行のフィルムの復刻作業をドキュメンタリーは描いている。

メリエスの作った映画月世界旅行のできたころのヨーロッパの様子がこのドキュメンタリーで最初に解説される。当時のパリの街は、馬車が走っていて、そのため道には馬糞が落ちていて不衛生だったこと。当時の外出には帽子が必須だったことが説明される。

映画創作の父と言われるのはメリエスだが、映画の父と言われるのはリュミエール兄弟だ。1895年リュミエール兄弟は、シネマトグラフと言われる世界初の映画を作った。初期の映画では、軍隊の行進とか、枕の中身をぶちまけるとか、自転車に乗って転ぶとかいったドタバタが描かれていた。

メリエスはそのような映画の世界に革命をもたらした。メリエスは映画をただの娯楽から芸術に変えた。だからメリエスは、映画創作の父と言われるのだ。

メリエスの作品の他の作品との違いは、メリエスの作品はストーリーが意図的に作られているところであり、そしてメリエスの駆使した映像技術もその他の映画とメリエスの作品が違うことを示している。

メリエスは映像をただだらだら撮っているのではなくて、そこに原因と結果がある、つまり起承転結がある物語を作りだした。テーブルの上に二つの頭が置いてある。真ん中に首のない人間が立っている。

次の瞬間その胴体に首ができたと思ったら、首の持ち主はその首を別のテーブルの上に置く。その胴体からまた首がなくなり、テーブルの上には同一人物の首が三つ置かれることになる。この映像には原因と結果があり、何より人を引き付けるビジュアルがある。

当時、メリエスは何本も何本もこういった映画を作っていた。当時の映画は時間が短く、しかもトーキーではなかった。しかし、映画は人気を呼び、メリエスの映画は世界中で公開された。人々はメリエスの映画に没頭した。

しかし、メリエスの時代も去る時がやってくる。メリエスはスター・フィルムという会社を経営して、映画のスタジオ持っていたが、時代のニーズはメリエスの持っている、夢の世界から遠のいていった。時代はサスペンスなどのジャンルを求めるようになり、映像的にもメリエスの映像が稚拙に観えるようになっていった。

メリエス月世界旅行にはモノクロとカラーがあり、この作品で観られるのは、カラーの月世界旅行だ。テクニカラーが登場する以前にすでに1900年の初頭にカラー作品が世界中で観られていたのだ。

ヒューゴの不思議な発明」という映画では、晩年のメリエスらしき人物が登場する。その人物は晩年のメリエスと同じく、駅の売店機械仕掛けのわくわくするような骨董品を売っている。その映画の中で、メリエスは再び脚光を浴びたのだ。