国境なき恋愛

映画「COLD WAR あの歌、2つの心(原題:Zimma wojna)」を観た。

この映画は2018年のポーランド・イギリス・フランス合作映画で、2人の男女を描いたラブ・ストーリー・ドラマ映画だ。

この映画の主人公は2人いる。ヴィクトルとズーラだ。ヴィクトルとズーラはポーランドで生まれた男女だ。ヴィクトルは国の政策として、農民の間に伝わる民謡を採集して回る仕事をしている。

ヴィクトルは音楽の教育を受けたブルジョワのインテリのようだ。

それに対してズーラは父親に犯されそうになって、父を殺しかけ、国策で農民の間から民俗芸能の舞踏集団を作ろうとしている所に、都会から参加するような、素性を偽るような女性だ。

つまり、ズーラはそれだけ現状の生活から抜け出したかったのだろう。

インテリのヴィクトルと不幸な過去を持つズーラ。この映画では、この2人の間を裂くように東西冷戦が登場する。表立ってはヴィクトルとズーラの恋愛物語なのだが、その背景には冷戦という暗い影の存在がある。

ポーランドに生まれたヴィクトルは、インテリの人っぽく、西側の世界に憧れる。西側の世界とは自由と愛と平和の“帝国主義”の国々だ。それに対して東側の世界とは、欠落の世界だ。西側にある自由が特に東側にはないように感じられる。

ポーランドは東側の世界の一部だ。ヴィクトルは自由な西側に憧れて2度亡命した。それに対してズーラは、非合法な出国を行ったことはない。ズーラはヴィクトルほど西側の世界に憧れていない。

なぜか?それはズーラの愛し方に関係があるように思われる。ズーラはヴィクトル一筋ではない。ズーラは多くの人を同時に愛することができる。ズーラは愛に不自由することはない。西側の世界にいなくてもズーラは誰とでも恋愛できるという自由を手に入れることが可能だ。

ズーラにとって愛は西側で手に入れることのできる様々な物や名声や地位よりも高い位置に存在する。ズーラはヴィクトルほど“帝国”への憧れはない。ズーラは物があっても虚しいだけという資本主義の虚構さに気付いているかのようだ。

この映画を観ていると、ヴィクトルの生き方よりも、ズーラの生き方の方が格好良く思えてくる。理屈や正しさへのこだわりを持ち続けるヴィクトルと、あるがまま、時に美しく時に醜い愛に生きるズーラ。

愛だけで生きているように見える点で、ズーラはヴィクトルよりもシンプルで強い。ズーラの中にある基準は愛か愛でないかだ。

ズーラの愛への姿勢は実は国に対しても現れている。ズーラは一度も国に対する裏切り、つまり亡命をしなかった。ズーラはヴィクトルよりも精神的に自由だ。ズーラは東側にいながら西側の人たちよちも自由を愛した。ズーラは冷戦を超えて人を愛していたのだ。