プレッシャーと許し

映画「WAVES/ウェイブス(原題:Waves)」を観た。

この映画は、2019年のアメリカ映画で、映画のジャンルは青春映画だ。

この映画の主人公は、タイラー・ウィルアムズという、18歳の青年期にある男の子だ。タイラーには、エミリーという妹がいる。また、タイラーは建築ビジネスのオーナーであるロナルドという父と、医師で継母であるキャサリンという母を持つ。

この映画は青春映画と書いたが、それは主人公タイラーが大学進学を控えた学生であることにも由来する。タイラーは、スポーツのエリートでレスリングをやっている。大学の学費にも、レスリングの奨学金を当てるつもりで両親はいる。

タイラーには、チアリーダーのアレクシスというガールフレンドがいる。アレクシスはエミリーとも交流があり、映画中化粧台の前でエミリーとアレクシスが仲良さそうに会話をするシーンもある。

タイラーはアフリカンアメリカンの中産階級の家の子供だ。豪邸に住んでいる。大きな車もある。タイラーの父の教えはこうだ。「中産階級にとどまるな。これは通過点でしかない。もっといい場所を目指せ」。

タイラーは日常的に競争社会のプレッシャーに耐えている。学校ではレスリングのコーチがタイラーたちのチームメンバーにこう繰り返すように要求する。「負けるものか。俺は最新鋭マシン」。こうコーチとチームメイトは繰り返す。

タイラーの父ロナルドも、タイラーに日常的にプレッシャーをかけてくる。家族の外食の際にも、ロナルドは息子を自分と腕相撲するように促す。2人の間に遊びはない。腕相撲も本気の腕相撲だ。ロナルドは、腕相撲でタイラーに勝つ。ロナルドはそれにより息子を抑えつけている。

ロナルドのタイラーへのプレッシャーは続く。タイラーが家の建築の現場でロナルドの仕事の手伝いをしていると、ロナルドはこう言う。「お前もいつかこれくらい大きい寝室を持つことができる」と。ロナルドの上昇志向はタイラーにとっての抑圧になっている。

タイラーはそのプレッシャーにどう耐えているのか?強い精神力か?違う。タイラーは、父親のロナルドからのプレッシャーをストレスに感じていて、水筒にウォッカを入れて飲み、そのウォッカで、父親が昔スポーツで痛めた膝のための鎮痛剤を飲んでいる。

その鎮痛剤は、バスルームのキャビネットに置いてあり、薬のラベルには父のロナルドの名前がプリントしてある。その鎮痛剤は、オキシドコンで、オピオイドと呼ばれる鎮痛剤の一種だ。

オピオイドは痛み止めに使われるが、オピオイドはドラッグでもある。オピオイドはケシの実から採られるアヘンの成分から取り出すことができる。ケシの実から採りだされるわけではないが、似たような効力を持つものもオピオイドと呼ぶ。そしてその害は変わらない。

アヘンと聞いて思い出すのが、イギリスが中国との間で起こしたアヘン戦争だ。イギリスは東インド会社とインドのベンガル地方でアヘンを大量に栽培し、それを中国に輸入していた。

中国側はアヘンの輸入を好ましく思っていなかった。そこで中国はアヘンを没収して焼却した。それに対してイギリス政府と密売者が怒り、賠償を中国に請求した。その請求を中国が拒否するとアヘン戦争が始まった。アヘンの害は国家を動かす。それがアヘン戦争だ。

アメリカではオピオイド危機というものが起こっている。医師が病気の治療にアヘンの成分であるオピオイドを使っていたのだ。それにより患者がオピオイド中毒になった。そしてオピオイドは非正規の市場でもドラッグとして出回ることになった。

オピオイドは過剰に摂取するとオーバードーズして死に至る。そのような医薬品は販売するべきではない。しかし、製薬会社のパデュー・ファーマはオピオイドの医薬品を販売し続けた。販売促進のために、医者に日常的に無料の昼食をプレゼントしていた。

インターネットサイトであるWEDGE Infinityの、2019年の9月24日の「鎮痛剤オピオイド危機に見るアメリカ社会の病理と深層」というジャーナリスト斎藤彰氏による記事では、「アメリカでは2017年1年間に170万人が精神障害を引き起こし、そのうち4万7000人が死亡した」とある。

これはCNNテレビが2019年の8月28日に放映した“オピオイド危機”関連番組の中で紹介された、連邦保険・人的サービス省(HHS)のデータをもとにしたものだ。数万人単位で人がオピオイドにより死んでいるという現状がここでわかる。

オピオイドアメリカ中に蔓延していると言われている。タイラーもアメリカのオピオイド使用者の一人だ。アメリカの若者の中にはオピオイドを自ら非公式に購入する人たちが後を絶たない。

オピオイドには嘔吐や、イライラ、などの副作用がある。タイラーもその副作用に苦しめられている一人だ。タイラーは壊した左肩の状態を両親に伝えることができない。なぜなら、それはタイラーの父であるロナルドをがっかりさせることになるからだ。

このようなタイラーの状況は、この映画の監督のトレイ・エドワード・シュルツも体験した状況だ。シュルツも10代の頃にはイライラしていたとインタビューで語っている。怒りで自分の部屋の壁を殴ったとシュルツは語る。

シュルツの継父は、アルコール中毒家庭内暴力をふるう人だった。シュルツは長い間父親と会っていなかったが、付き合っていたガールフレンドに、父親に会うことを勧められ、シュルツは膵臓がんの父に会いその模様をヴィデオに撮った。そのヴィデオを、エミリーの恋人役のルーカス・ヘッジは観ることになる。

この映画は家族の危機についての映画で、前半と後半で分かれている。前半はタイラーを中心とした物語で、後半は妹のエミリーを中心とした物語だ。前半は高圧な父親の下で破壊されていく青年の物語だ。それに対して後半は父親の謝罪と、許しの物語になっている。

前述したように後半は、タイラーの妹のエミリーとその恋人ルークを中心とした物語だ。エミリーは人気者の兄の存在で影に隠れている人物だ。父親のロナルドもエミリーのことは気にかけていない。

そのエミリーが父親の謝罪や、父親への許し、そして自らの罪悪感の克服を行っていくのが後半部分だ。エミリーの抱えた罪悪感は、タイラーが人を亡き者にするのを止められなかったことにある。

ロナルドもルークの父親も、男らしさ(manhood/masculinity/virile)を捨てられない男だ。男は家庭に入ると、男性としての威厳、つまり男らしさに憑りつかれてしまうようだ。それは彼ら自身の焦りでもある。

すべての男性が、男らしさを誇示するわけではないかもしれないが、少なくとも、エミリーとタイラーの父ロナルドと、ルークの父はそのようであったのかもしれない。前述した監督自身の記憶にと類似して、ルークの父は家庭内暴力をふるっていた。

男らしくあるために、弱みは他人に見せることができない。その脅迫が、焦りをもたらし、家族を傷つけてしまう。それが、男らしさのもたらす悲劇的な結果だ。それにはきっと家父長制も関係している。

ロナルドは自分のつらい心境をエミリーに告白する。タイラーは刑務所へ。妻は顔を見てくれない。ロナルドは涙を流す。そして言う。「エミリー、君は愛にあふれた人になって欲しい。憎しみは何も解決しない」と。

これを男性から追いつけられた女性らしさとみる見解もあるだろう。しかし、ロナルドの言う愛は、すべての人間が共有すべきものと捉えることができる。愛は理性と対立するという指摘もあるが、この場合の愛は、人々を繋ぐよいものとしてとらえられている。

そして、ルークの父親も死の床で、ルークとエイミーの前で泣く。それはルークの父なりの男らしさの捨て方だったのだろう。そしてその時ルークの父親は、男らしさを捨てて、息子に許されることができたのだろう。

ウィリアムズ一家は、フロリダ州の南にあるマイアミに住んでいる。海に近く、カラフルで、楽し気な土地だ。そのような土地でも、当然、苦難や、苦悩はある。タイラーがそれにより、恋人を殺めてしまったように。人が生きていくには、成功ではなく、許すことが優先されるべきだろう。

 

参考資料

www.theguardian.com

www.theguardian.com

www.theguardian.com

www.theguardian.com

www.nytimes.com

www.washingtonpost.com

www.spokesman.com

www.nytimes.com

www.theguardian.com