求めている理想

映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす(原題:The Postman Always Rings Twice)」を観た。

この映画は1946年のアメリカ映画で、クライム・サスペンス映画だ。この映画の主人公は2人いる。フランク・チェンバースという男と、コーラ・スミスという女性だ。この映画は、このフランクとコーラの愛憎劇を中心にして繰り広げられる。

コーラはニック・スミスの妻だ。そしてフランクとコーラの仲は不倫だ。コーラはニックの財産を当てにして、ニックと結婚している。コーラは色々な男に言い寄られているうちに、男に求められるものは金だけだと悟った女性だ。

愛だ、なんだかんだ言って、男は結局飽きたら他の女の所に行ってしまう。逆に愛情が強すぎても、がんじがらめで身動きがとれない。それなら落ち着いたお金のある年配の男がいいとコーラは考えたのだろう。

つまりコーラは愛よりもお金を選択した女性だ。しかし、そんなコーラの元に、コーラと同年代の強気な男が現れた。それがフランクだ。

フランクは強引にコーラを自分のペースに持ち込む。そしてコーラの中に隠れていた愛欲を目覚めさせる。そしてこの2人の不倫は、事態を深刻な方向に進ませてしまう。

この映画のタイトルにある“郵便配達は二度ベルを鳴らす”とはどういうことか?それは、神様からのお呼びが2度あったということだ。この映画のタイトルについての言及は映画のクライマックスのフランクのセリフから読み取ることができる。

「コーラは二度ベルを鳴らされた。俺も二度ベルを鳴らされたんだ」。このフランクの何かを悟ったようなセリフは、聖職者の前で告白される。映画の終盤であれほど憎しみあった2人だったが、フランクはコーラのことを許す。そしてこう言うのだ。

しかし、そもそもなんでコーラとフランクはこのような不幸な事態に陥ってしまったのか?そう愛はあった。しかし2人にはお金がなかったのだ。

もしこの映画の舞台がアメリカではなくて、北欧のどこかの土地だったらどうだろう?2人は衣食住を国からの保障により確実に手に入れることができる土地だったら?おそらく2人の見舞われたような悲劇は起こらなかったに違いない。

「お金が必要だ」というこの映画にみられるような強烈なメッセージは、いつの時代でもみられる主張だ。すべての土台にはお金がある。お金がなければ、広告にうたわれているような恋愛や家族などを築けはしない。

恋愛や家族の理想像を描いたような映像が、そこら中にばらまかれる。人は無意識にそのメッセージを刷り込まれる。理想に一歩でも近づかなければならない。その衝動に駆られて、今日も人々は生きている。しかし、理想など、こんな理想など本当に必要なのだろうか?