個人と国家

今回は3本の映画について書きたい。その3本の映画とは以下の映画だ。

一つは①「レボリューション‐米国議会に挑んだ女性たち(原題:Knock Down the House)」だ。この映画は、2019年のアメリカ映画で、ネットフリックスの制作した映画であり、2018年の民主党予備選挙で戦った女性たちの姿を描いたものだ。

二つ目は②「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK(原題:The Beatles:Eight Days a Week-The Touring Years)」だ。この映画は2016年のイギリス映画で、イギリスのリヴァプール出身のロック・バンドであるザ・ビートルズの1963年から1966年のツアーの様子を描いたドキュメンタリー映画だ。

三つめは③「アベンジャーズ/エンドゲーム(原題:Avengers:Endgame)」だ。この映画は2019年のアメリカ映画で、マーベル・コミックのスーパー・ヒーローの主人公や登場人物たちが繰り広げるSF・アクション映画だ。

この三つの映画を簡単に要約するとこうだ。

①はお金持ちとお金がない人間たちの間の溝を、経済的弱者を助けるはずの民主党議員が受け入れている事実を描いた映画。

②はビートルズのツアーの規模が大きくなるにつれて、それを管理する側の国が、観衆の熱狂を恐れて、管理を厳重化して、それによりビートルズのメンバーがツアーに辟易してツアーを終えるという話だ。

③は国や個人や父のためなどに戦っていたスーパー・ヒーローたちが今までの自分とは違った価値観に目覚めていく映画だ。

これらの映画に共通するものを差異という視点から取り上げると、①は貧富の差を、②は大衆と国の間の差を、③は価値観の違いという差を表現しているように見える。

国は富み、人は貧しく、価値観がどうあろうと、そこには不条理な日常があるのみだ。貧しい者と富める者の、大衆と国の、それぞれの価値観の違い。

必ずしも貧しい人たちが、自らを富める側から自身で引き離しているとは言えない。

しかし、人は元来理不尽に行動してしまうものだ。選択するものの立場の改善を、選択するもの自身が、自身が良くなるようにと思って行動しても、結果が裏目に出るということがある。

人の選択は常に最善ではない。人は誤る生き物だ。そもそも人間の本性とはどういったものなのだろうか?大義のために生きる者。個人的な功利に基づいて生きる者。その姿は、これらの映画の中で描かれている。大義から個人に向きなおる者(例えばキャプテン・アメリカ=スティーブ・ロジャーズ)もいれば、個人から大義へ向かう者(例えばアイアンマン=トニー・スターク)もいるように。