親子の愛情

映画「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法(原題:The Florida Project)」を観た。

この映画は2017年のアメリカ映画で、母と娘の家族を描いたドラマ映画だ。母のヘイリーと娘のムーニーはマジック・キャッスルというモーテルに住む2人の家族で、母子だ。

モーテルの月の家賃は1000ドルだ。プロジェクトというのは貧困者が住むエリアを指す言葉らしい(町山智浩TBSラジオアメリカ流れ者、2017.11.14)。アメリカではプロジェクトに住む人というだけで、その人は貧困層の人だとわかるそうだ。

ヘイリーとムーニーもプロジェクトに住む住人だ。ヘイリーとムーニーは母子家庭だ。他にもこのマジック・キャッスルに住む人は元軍人であるとか、病人とか、犯罪歴のある人なのがいる。

これらの人は前述したように貧困層の人たちだ。きっと元軍人は精神的にも肉体的にも負荷を負っているだろうし、病人や犯罪を犯した人たちはまともな職に就くことができないのだろう。

職にありつけない、又は寝る場所や、食べ物、着るものに困った人は援助を受けられる人々である発想が日本に住む人たちにはあるかもしれない。しかしアメリカには社会福祉の充実はありえないことなのだ。

社会的劣等者が復帰する手段がアメリカにはない。この映画の中では貧困のぎりぎりの所に追い詰められた、ヘイリーとムーニーという母と娘が登場するのだが、この親子は社会保障の制度によって引き裂かれることになる。

貧困家族の子供を保護するために、親から子を取り上げるのだ。親子がいるなら、その関係に暴力によるいわゆる虐待がないのならば、その家庭に援助を与えればいいのではないか?

書類上の理屈でこね上げた方法を駆使して子供を親から取り上げるのは間違いではないだろうか?社会保障を支えるシステムは、親を社会に不要なもの、子供を労働資源と考えているのだろうか?

親の方の社会復帰は無理。ならば子供が親に似る前に親の元から引き離し、子供を従順な労働者に育て上げよう。社会保障を作り出しているエリートたちの考え方はこういったものではないだろうか?

制度を設計するのは一部のエリートたちだ。エリートたちの間に共有されている価値観の現れが、現行の制度なのではないか?エリートは貧困層には寄り添わない。エリートは強者の味方をする。自身の保身のために弱者を切り捨てるのが、一部のエリートたちのありかたなのではないのか?