愛を、知っているか、知らないか。そして愛を、信じるか、信じないか。

映画「KUBO/クボ 二本弦の秘密(原題:Kubo and Two Strings)」を観た。

この映画は2016年のアメリカ映画で、3Dアニメ映画だ。この映画の舞台は、お盆の日本だ。そしてこの映画の主人公はクボという少年だ。この映画は、クボの父と母と祖父そしておばさんたちについての映画だといっていい。クボ一家の物語が、この映画なのだ。

クボは、父はハンゾウという人間の男で、母は月の世界の人だ。そしてクボの母方の祖父は月の帝(みかど)だ。そしてクボの母の妹2人も月の住人だ。

クボは幼い時に左目を祖父にとられている。祖父がクボの目をとった理由というのは以下である。それはクボの持つ人間の目は、月の世界の住人にとっては下らないものしか映らないからだ。

人間の目には映るが、月の人の目には下らないものとは何か?それは愛だ。月の帝である祖父には、人間の愛が見えないのだ。月の帝の死角は愛だ。

ここで一番問題なのは、月の世界と人間の世界の常識とが異なることだ。月の世界の住人にとっては愛なき世界が常識的な世界だ。一方、人間に言わせれば愛こそが生きる糧なのだ。

月の帝は人間には正しいものが見えないと思っている。月の帝は自分の娘たちにこう吹き込んでいる。というより、月の帝自身が信じ切っていることがある。それは、人間たちはいずれ月の世界を脅かす存在になるということだ。

こう考える時点で月の帝は、既に人間不信に陥っている。人間とは互いに戦争するような下等な生き物であると、月の帝は思い込んでいる。

しかし、ここで思い出したいことがある。それは人間の本質は本来悪であるといった人物のことだ。それは17世紀の思想家のトマス・ホッブズだ。イングランドの思想家であるホッブズはこう言う。

人間は自然状態においては闘争状態だと。つまり人間は性が悪であるから、ほっておけば争いを始めるというわけだ。ホッブズはこの争いの状態を鎮めるために一人の主権者を立てて、そこに各人の自然権を委ねるという契約をするのだと言う。

ここで明らかなのは、ホッブズは人間の愛というものに対する観察が浅薄だということだ。月の帝もホッブズも人の愛を信じていない。それは人の持つ愛を知らないということなのかもしれない。