崇高さに狂わないこと

映画「栄光のランナー/1936ベルリン(英題:Race)」を観た。

この映画は2016年のアメリカ、ドイツ、カナダ合作映画で、1936年のベルリン・オリンピックで4種目(100メートル、200メートル、走り幅跳び、リレー)で金メダルを獲得した黒人陸上選手ジェシーオーウェンス(正式名ジェームズ・クリーブランドオーウェンス)のその時の活躍を描いた映画である。

1936年は第一次世界大戦第二次世界大戦との間の時期で、ドイツはユダヤ人大虐殺を引き起こしたナチス・ドイツが勢力を維持していたし、アメリカ国内では黒人の人種隔離政策が堂々と行われていた。

この映画の英題であるraceには競争という意味と人種・民族といった意味がある。この映画のタイトルが意図していることは明らかである。

映画のタイトルRaceには2つの意味があると言える。オリンピックで競争することを指す意味と、世界で公然と行われている人種差別を指す意味とだ。

ジェシー・オーエンスはrace(競争)することで、racism(人種差別)と戦ったのである。そして競技への信念を通じてジェシーは人種差別を超越してしまったのである。

ジェシー走り幅跳びでドイツの選手と決勝を戦うことになる。その決勝にたどり着くには、そのドイツ人選手の助けが必要だった。それはこういうことだ。

ジェシー走り幅跳びをする際にいつもふみ切りの位置を遠くからでもわかるように、ふみ切りの横にハンカチを置いた。ドイツ大会でもハンカチを用意しようとしたが、その際にファウルをとられて、一回幅跳びをしたことになってしまった。

そこで困っているジェシーを見て、ドイツ人選手がふみ切り板の横にハンカチを目印として置いてくれたのだ。そのドイツ人選手の名前はルッソ・ロングという。

選手たちの周囲の人間は政治やビジネスにからめとられて選手たちが持つようなスポーツマン・シップを持つことはないとみられる。

しかし、それは選手たちも同じことではないのだろうか?

人はいつも政治やビジネスの渦中で暮らしている。選手であろうが、ビジネスマンであろうが、国際五輪委員でも同じことである。選手だって相手の選手に政治的憎しみを抱くこともあるかもしれない。

しかし、映画中の選手たちはその暗い部分を乗り越える。選手にはメダルという共通の目標がある。その前で血みどろにならずにいられる選手は、当然敬意の対象になるべきである。