傲慢な理性

映画「サウルの息子(英題:Son of Saul、原題:Saul fia)」を観た。

この映画は2015年のハンガリー映画であり、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を描いた映画である。

この映画の主人公はナチス・ドイツによるユダヤ強制収容所で囚人ながら、送られて来たユダヤ人の同胞がガス室で殺された後を処理をするゾンダー・コマンドという囚人部隊の一員であるサウルという男である。

サウルはユダヤ人としてユダヤ強制収容所に連れて来られて、ユダヤ人殺害の補助的な役割を担っている。

ある日サウルはユダヤ人の死体の山の中から生き残っている少年がいるのを見る。その瞬間、サウルはその少年が自分の息子であると思う。そしてその少年を埋葬してやりたいという思いに駆られる。

ユダヤ人の正式な葬儀にはラビは欠かせない存在のようである(ラビはユダヤ教においての宗教的指導者のことである)。

サウルは映画の最中ずっとラビに自分の息子と思っている少年を埋葬してもらうように行動し続ける。

ナチスユダヤ人大量虐殺の標的となりながら、その虐殺の補助をし続けたゾンダー・コマンド。ユダヤ人大量虐殺の補助をしたユダヤ人。しかし、彼らはユダヤ人以外の何者でもなかった。

ゾンダー・コマンドも3ヶ月から1年周期で隊員たちが入れ替わっていた。つまり、その周期でゾンダー・コマンドは殺されて、新しく収容所に送られて来たユダヤ人の一部がゾンダー・コマンドになったのである。

自らが殺されるであろう場所で死体処理し続けるゾンダー・コマンドが正気を保つ方法はあったのだろうか?

正気を保つ方法として考えられるのが、反乱の企てや、死者の弔いだとこの映画では描かれている。そうこの映画ではユダヤ人ゾンダー・コマンドによる反乱と同時に、ゾンダー・コマンドによる弔いが描かれているのである。

映画中、反乱を企てる準備をしているゾンダー・コマンドがサウルはこう言う。「お前は死んだ者のことばかりにこだわっているが俺たちは生きている。お前も死んだ者のことなど忘れて反乱に参加しろ!!」。

反乱を企てるゾンダー・コマンドには、サウルの行動は非合理的で不可解なものに映るのである。

死体処理をして数ヶ月の命を生きるのか?その任期切れが来たらすぐに行動を起こすべきか?期限が切れるまで賢く生き延びて、期限を知ったら命の延命のために戦って生き残る。それがゾンダー・コマンドにとって一番合理的な生き方だったのである。

人が人を追い詰める時、その制限のタガは簡単に外れてしまう。人は人に対して過剰に振る舞う。自制心を知っているかのような傲慢な理性(ナチス・ドイツ)は、決して見逃してはならない。人はその存在を直視すべきである。