七夕の夜、鎌倉の海の砂浜で、花火をする歌

レミオロメンの2008年の通算4枚目アルバム「風のクロマ」の15曲目の曲、アルバムのラストの曲「花火」を聴いて思ったことをここに書く。特に歌詞から受けた印象について書きたいと思う。

歌詞の語り手は男性であり、燃え上がるような一瞬の恋に憧れるような傾向を持つのがこの男性像の特徴だ。「私は夏の花火のような恋ならしたくはないから/あなたをどこまで信じていいの?」という女性が男性の印象から受けて女性の中に沸き起こった思いや、「未来でも過去でもなく今が一番綺麗/永遠が心に染み渡っていく」という歌詞からも「今」を重要視する男性の姿が思い描かれる。

そしてここで気になるのは、この男性が「今」から「永遠」をみていることだ。この「今」とはどのようなものだろうか?この「今」とは「今」が「永遠」に続くというような意味ではなく、「今」が「永遠」のように尊いものであると言っていると読み取れる。つまり「今」が最高なので「永遠」になればいいと言っており、「今」が最高でなくなったらそれは「永遠」に値しないと言っているのである。

一方女性側は「夏の花火のような恋ならしたくはないから」と述べる。女性側は素晴らしい「今」が続くことに意味があると述べているのだが、男性側と違うのは「今」が最高とは言わずに、「夏の花火のような恋」は嫌と言っているように、長く続く愛がいいと言っているところである。

「僕ならいつだって単純明快なんだよ/未来でも過去でもなく今を見つめてごらん/目の前の君をずっと愛している/永遠が心に染み渡っていく」と最後に男性の思いが歌われる。これから先愛がずっと続くかどうか悩んでいて、僕とこれからも付き合っていくか困っているのなら、“ずっと続く”という部分をみつめるのをやめて、「今」のこのお互いの気持ちを大切にしようと男性は語る。ここでも男性は最高な「今」の状態が「永遠」に続くことを男性は語るのである。つまり最高でなくなったら「今」などいらないのである。

一方女性は「あなたのすべてを信じてたいの」と言う。ここには愛が盛り下がった時でも信じることはできるという事実が表現されている。つまり最高な「今」だけに注目している男性のような考えとは違い、この先、愛が冷めかけた時の男性の思い、行動を気にしているのである。

女性側は冷静である。愛には冷めている時も熱いときもある。「今」の男性の気持ちが舞い上がっているように。男性のそのあり方自体が女性にとっては不可解なのである。冷めた時も熱い時も愛である。それが女性にとっての愛である。

しかし男性にとっては燃え上がっている「今」が一番であり他は受け入れられないのである。「君の笑顔は気まぐれすぎて」とあるが、実は男性よりも長い射程で物事をみつめているのが女性なのである。「線香花火に人生を準えても 興味がなさそうだね」とあるが、女性側は「夏の花火のような恋ならしたくはない」のだから、その喩え話は女性にとってはただの戯言に過ぎないのである。最高の「今」が「永遠」に続くと信じているおめでたい男と、恋愛には波があることを熟知している女性との差異がここにみられるのである。男性は下心に気が行って熟考に至らないのかもしれない。

 

※歌詞はレミオロメンのCDの歌詞カードより参照した。歌詞を見たい方はこちらのページをどうぞhttp://j-lyric.net/artist/a000776/l013625.html