他人が多様に見えず、皆同じに見えてしまうという平坦さ

映画「アノマリサ(原題:Anomalisa)」を観た。

この映画は2015年のアメリカ映画であり、人形を使って撮られた人形映画である。この映画の主人公はマイケル・ストーンという中年の男性であり、マイケルは本を出して各地で公演をしているちょっとした有名人である。

この映画の中でマイケルは、自宅のあるロサンゼルスから離れてシンシナシティまで講演旅行に出かける。そしてマイケルは出張先のホテルでリサというマイケルの公演を聞きに来ていた女性と出会い、一晩はなし、セックスして過ごす。

この映画にはマイケルとリサが出会い別れるまでが描かれている。有名人とそれに憧れる女性との一晩限りの恋物語。この物語をそういってしまうこともできるだろう。しかしこの映画の中には、ただの恋愛モノとして収まりきらない部分もある。それは主人公のマイケルに問題がある。

マイケルはきっと本を書いたり、公演をしたりするインテリという設定なのだろうが、マイケルは自身の物事を把握する能力により苦しんでいる。マイケルは何に苦しんでいるのか?

それは自分以外の人間が皆同じ顔をし、同じ声をした人間に感じられることである。マイケルの行っている公演の内容と、この“皆同じ顔・声現象”は関連付けることができる。

マイケルは顧客サービスのノウハウの本を出し、その公演をしている。顧客サービスとは一体何をすることか?それは自身の利益のために、より多くの人々に楽しんでもらいその分のお金をいただくことである。

多くの人に喜ばれるサービスを目指すと、そこで多くの人々を分析して、その傾向をつかみ、その傾向に合わせたパターン観を推し進めることになる。多くの人々の喜びを勝ち取るためには、その多くの人を類型化し、パターン化して把握して、それに対してサービスをおこなえばいいのである。

ここでは人間を類型化してみることになる。このパターン化が推し進められると、人間がだいたい一つのパターンに当てはまるというように見えるようにもなりえる。つまり、マイケルは人々の多様性ではなく同一性に目を向けることにより、すべての人間が同じように見えるようになるのである。

すべての人が同じように見えるとどうなるか?人間は他人との多用な差異の中で自分というものを見つけているが、その他人がひとパターンだと、自分というものがわからなくなるのである。なぜなら、人間とは周囲との差異により自分というものを見つけ出すのだから。

マイケルは、その単一に感じてしまう他の人の顔と声とは違うリサという女性と出会い嬉々とする。「パターン化から抜け出せる!!」と。しかし、リサが自分の予想の想定内に入ってしまうと、リサの個性も単一の他人と同化してしまうのだった。