慈善的な態度から零れ落ちてしまう人たち

映画「ハスラー(原題:The Hustler)」を観た。

この映画は、1961年制作のアメリカ映画で、タイトルのハスラーとは、ギャンブルで相手にわざと負けておいて、相手が油断したのを見計らって、本来の実力を出してお金を相手から巻き上げる詐欺師のことである。

この映画の主人公エディ・フェルソンはハスラー、つまり詐欺師、よく言って勝負師の男である。

エディはストレート・プールというゲームの名人であり自分の腕に自信を持っている。ストレート・プールとは日本であまりなじみのない言葉だが、ゲームに使う道具はビリヤードと同じであり、ゲームのルールがストレート・プールとビリヤードでは違うだけだ。

エディは自分の実力を試したい、そして大金を得たい思いでミネソタ・ファッツというバード・ゴードンの縄張りで活動するストレート・プールのプレーヤーに挑戦をする。しかし、エディは途中までは勝っていたものの、ミネソタ・ファッツの精神力の前にストレート・プールで敗れてしまう。

当然エディは試合で自分が勝つ方に賭けていたお金を失ってしまう。それでエディは、ただの宿無しになる。自分の自身のあるストレート・プールで負け、一文無しになったエディは残った所持品を駅のコインロッカーにあずけておく。

その時コインロッカー近くのコーヒーショップで孤独に一人本を読んでいる女性と出会う。その女性とはサラ・パッカードである。サラは小児ポリオで足に軽度の障害をおっており、ろくな仕事もなく父親から送られてくるお金で大学に行く、火曜と木曜以外は酒浸りの孤独な女性である。年齢は30歳位だろう。

しかし、サラはエディと恋仲になることによっていくらかは救われてくる。孤独な障害をおった若くない女性の心をエディが癒していくのである。

しかし、エディは一度負けたゲームの再挑戦を夢みていた。エディがゲームに集中すればするほどサラのことは置き去りにされていく。再び孤独な生活に陥ることを恐れるサラはエディがサラ自身の元を去る前に自殺してしまう。

エディはサラの自殺にショックを受ける。エディは自身の賭けを取り仕切っていたバード・ゴードンに向かってこう叫ぶ。「俺たちが彼女の喉を切り裂いたんだ!!」。サラは自殺する前に洗面所の鏡にこう書く。“変質者”“異常な奴ら”“不自由な者”。最後の不自由な者とはサラ自身のことも指しているのだろう。(ストレート・プールという賭けゲームにはまったエディたちも不自由な者である。)

孤独な境遇に置かれている社会的弱者のことをほったらかしにしておいて、ギャンブルに浸る変質者や異常な奴ら。一人一人の命よりもギャンブルが大切か?世の中の優先順位のつけ方とは一体何なんだろうか?社会的弱者をほっておいてまでギャンブルをする変質者、異常な奴ら、不自由な者。

変質的で異常で不自由な生き方も確かにあるのかもしれない。しかし、社会的弱者に手を伸ばすのは一部の善良な人々のみでいいのだろうか?自らの本性を変えてまで慈善をすることは奨励されないのか?しかし慈善的な人間というレッテルからどうしても零れ落ちてしまう人々もいるのかもしれない。