お金が無価値になった時

映画「ゲティ家の身代金(原題:All the Money in the World)」を観た。

この映画は2017年のアメリカ・イギリス合作映画で、スリラー映画だ。この映画の舞台は1973年のイタリアだ。このタイトルにあるゲティ家とは、当時世界一かつ歴史上最も金持ちであった一族だ。

この映画はゲティ家の当時の支配者であったゲティ老人のお金を巡る話だ。ゲティ家の資産は10億ドル以上であるといわれていた。そしてそのゲティ家のお金を狙う連中が存在した。

彼らはゲティの孫であるポールを誘拐して、身代金1700万ドルを要求した。ゲティ老人は資産10億ドル以上を持つ人物だ。そのような身代金の額は孫の命を考えれば痛くもかゆくもないはずだ。

しかし、ゲティ老人と孫のポールの母親ゲイルの間には以前こんなやり取りがあった。ゲティの息子と結婚したゲイルは息子のポールをもうけたのだが、そのゲティの息子とは離婚することになった。

その際ゲイルはゲティ老人の元から一銭もとらない代わりに監護権をもらった。つまりゲイル老人はゲイルに一銭も払わないで、ポールを失った。その取引にゲイル老人は文句を言わなかった。

なぜか?それはそこにはゲティ老人の損失が一銭もなかったからだ。この誘拐にしてもそうだ。ゲティ老人の頭の中にはお金のことしかない。金を失ってはならない。金は得るものだ。これがゲティ老人の頭の中のようだ。そのようにこの映画では少なくとも描かれている。

この映画の最後ではゲティ老人は、ゲイルがマスコミの宣伝力を使ったために、身代金を全額払うことになる。その頃のゲティ老人はこう言う。「私にとって金はなんでもない。空気みたいなものだ」と。

お金が空気みたいに珍しくも何ともない無価値なものになった時に、ゲティ老人の元にあったのは何だったのか?息子は麻薬におぼれて、人生を踏み外し、孫のポールも誘拐から積極的に効率的に救おうとしなかった。お金以外に自分にとって価値のあるものはなかったのだから。

お金が無価値になってしまったとき、ゲティ老人にあるのは虚無のみだ。ゲイルがゲティ老人の資産を引き継ぐところでこの映画は終わる。ゲティはゲイル老人と同じ立場に立つことになる。世界一、歴史上一の金持ちという座に。

そこでゲイルが見たものとは何だったのだろうか?ラストのシーンのゲイルの表情は何を表現しているのだろうか?