共有と所有

映画「マザー!(原題:mother!)」を観た。

この映画は2017年のアメリカ映画で、映画のジャンルはサイコ・スリラーというものだ。この映画の内容を簡単に言ってしまうと、こうである。それはこの映画は破壊と創造についての比喩的な映画だということだ。

映画は詩人である夫とその妻の2人を中心として描かれる。そしてこの夫婦2人のパーソナリティーの対立を通して、破壊と創造についての比喩的な映画が成り立っている。夫婦の夫は共有を、妻の方は所有を表していると考えることができる。

そして共有と所有はこの映画の中では対立するものとして描かれている。この共有と所有との対立から破壊が生じて、すべてが破壊しつくされて、最後に再生するというのが、この映画の大雑把な筋ということができる。

共有と所有とは何か?例えばあなたはリンゴを手に入れたとする。それを他の人と分け合う。これが共有だ。他方、手に入れたリンゴを自分1人のものとする。これが所有だ。共有も所有もものを持っている状態には違いはないが、所有には独占するという意味合いが強く現れている。

共有は「皆と分け合いましょう」であるが、所有は「これは私のものです」と独占的主張をする。

この映画の主人公はヒロインである妻だ。通常映画では主人公は善人に、対立する人物は悪として分かり易く描かれる。つまりこの映画の中では、善=妻、悪=夫となっている。そして夫は共有を表し、妻は所有を表している。

つまり、善=妻=所有、悪=夫=共有という図式がこの映画の中では用いられている。善人である妻は弱々しく規範的に描かれるが、夫とものを共有する人々は強く、強欲で、規範から逸脱しているように見受けられる。

この映画に用いられているイメージは共有を悪とするような視線を観る者に与える。実際人間はこのような対立で現れるわけではない。むしろレベッカ・ソルニット [レベッカ・ソルニット 訳/高月園子, 2014]によると共有しようとする人々の方が善的な行為をする人たちだ。サンフランシスコ地震の後に人々が自発的(内発的)な善意のコミュニティを形成したように。

そして軍隊が規範の押し付けのために罪のない人々をどさくさに紛れて殺したという事実をレベッカ・ソルニットは示している。市民は無知で暴力的だから、軍が市民から街を救う。

さてこの場合街とは何のことだろうか?街とはこの場合ただの箱モノでしかないのではないだろうか?そこに人々の姿はないのだ。

 

 

参照文献

レベッカ・ソルニット 訳/高月園子. (2014). 災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか. 千代田区神田神保町1-32: 亜紀書房.