パニックに陥るのは誰か?

映画「キングコング対ゴジラ」を観た。

この映画は1962年の日本の怪獣映画である。この映画の目玉はタイトル通りのキングコングゴジラの対決だ。この映画はゴジラ映画の第3作目で、映画の世界の中では既に世界にゴジラの存在は知られている。そしてキングコングが新しい怪獣として登場するのがこの「キングコング対ゴジラ」だ。

この映画はこの両者の対決がメインとなっているので、人間社会の細かな描写といったことにはあまりシーンが割かれていない。この映画の見せ場はキングコングゴジラの対決シーンだ。

もし日本でキングコングゴジラの対決が行われるのならばどのように企業、政府、一般人、科学者などが絡んでくるのか?その疑問にもこの映画は答えてくれる。但しこの映画に繊細な心理描写はないが。

企業は自身の利益の増大のためにキングコングを利用しようとし、日本政府は2大怪獣による混乱を静止すべく自身の利権拡大を計る。大衆はパニックに陥る。そう大衆は当然のようにパニックに陥る。

しかし、この大衆はパニックに陥り、エリートがパニックの沈静に当たるという図式は、人間社会の実際の在り方をそのまま描いたものなのだろうか?レベッカ・ソルニットならばこう答えるだろう。「大衆はパニックにならない。パニックになるのはエリートである」と。

レベッカ・ソルニットは著書「災害ユートピア」の中で、人が災害に遭遇した時には上からではなく人々の間に災害ユートピアと呼ばれる連帯が生じると語る。そしてその本の中で、レベッカ・ソルニットは災害の際にエリートが大衆の無秩序を恐れて人々を軍事力で統制しようとする愚行について述べる。

そう階層上部の人々は災害によりパニックに陥る。そして人々(人々がパニックに陥ると考えるエリート以外の人々のこと)は連帯を取り戻し、従来よりも良い秩序がもたらされる。つまり災害は無秩序状態をもたらさない。

レベッカ・ソルニットにとっては無政府主義と無秩序とは別のものである。一般的には両者は同じものの違う側面と捉えられている。両者を指してアナーキーという言葉があてられる。しかし、無政府状態は無秩序ではないのだ。無政府状態とは秩序がある状態なのだ。

話が脱線した。ゴジラの話に戻す。この映画ではエリートが事態を受け止めて電撃作戦やら、落とし穴やらを作る。そしてエリートの扇動により大衆はパニックに陥る。見ていてこれが現実であると我々は納得してはならない。パニックはエリートが作り出すものだから。我々は煽られてはならない。