共同体の悲劇

映画「この世界の片隅に」を観た。

この映画は2016年の日本のアニメーション映画で、すずという女性を中心として、1945年の第二次世界大戦末期の広島を描いた映画である。1945年の広島県といえば、8月6日の広島市への原爆投下が連想されることだろう。

この映画は、日本人でなくとも誰もが目をそむけたくなるような現実である、原子爆弾による大量殺人を間接的に描いた作品である。原爆投下後の広島の様子を描いた作品として広く読まれているのは「はだしのゲン」だろう。

このマンガでの原爆投下後の広島の描写はすざましいものである。このマンガを読んだ人の脳裏には原爆の恐ろしさが刻み付けられる。

この世界の片隅に」という映画の中では、広島の原爆は、広島の南方にある呉(くれ)から見たキノコ雲や、広島から歩いてきた被爆者のいた痕跡、そして空から降ってきた家財道具などといった形で描かれる。

広島の原爆という恐ろしい現実が時折ぬっと顔を出して、映画を観る者の中に恐怖を植え付ける。

この映画の主人公すずは、広島市で生まれて、呉に嫁にきた女性である。すずは当時の多くの人が従っていた風潮に流されるままに生きてきた。この当時の女性の人生とは結婚して子供を産み、子供を育てることだった。それ以外の選択肢はない。

すずもこの決められたレールの上を歩むことになる。そうこの当時はまだ共同体の繋がりが強かった。いわゆる世間の目のせせこましさが、現在よりも強い時代だったのである。

すずは選択肢を生まれた時に勝手に家族によって狭められる。家族のこの決定も世間により狭められた結果であるのだが。共同体のルールに異を唱えることなく従う人々。それがこの映画に生きる人々の姿である。

この強い共同体の息苦しさがあったからこそ、彼らは生きていられたのか?この共同体が狭苦しいものであるのは事実なのである。

映画の最後にすずは夫と広島の原爆で身寄りのない女の子を育てることになる。共同体が1人の女の子を救うのである。しかし忘れてはならないのは、このような状況、つまり第二次世界大戦を引き起こしたのは共同体だったということである。

共同体は人間の思考を支配する。共同体は一個人より大きく、個人の在り方に大きく影響するものである。個人から共同体は成立するが、成立した共同体は個々人の意思の統一的な集合であるわけはなく、共同体独自の思考を持つ。

共同体独自の思考は個人をねじふせて服従させる。そうならば、そのような共同体をまともなものにする努力をしなければならない。たとえ個人が共同体より小さな存在であっても。