愛か金かどちらが先に必要?

映画「ベイビー・ドライバー(原題:Baby Driver)」を観た。

この映画は2017年のアメリカ映画でアクション映画である。この映画の主人公は通称ベイビー、本名マイルズという若い男性である。

ベイビーの育ての父は耳が不自由で話すことができない車椅子に乗った黒人男性ジョセフである。ベイビーの両親はベイビーが幼い頃に交通事故で死んでいる。ベイビーはその事故の後遺症で両耳から耳鳴りがする。ベイビーは耳鳴りを消すために、アイポッドで音楽を聴いている。

ベイビーは少年時代から強盗の逃走車の運転手として稼いでいる。その犯罪の仕立て人はドクという中年男性である。

この映画のあらすじを簡単に言うとこうなる。ドクの元で強盗者のドライバーとして働いているベイビーが、ドクから自立し、自分の罪を償う。そしてベイビー自らが住む共同体に認められる。これがこの映画のあらすじの大まかな概要である。

この映画は犯罪の銃撃シーンやカー・アクション、スタント以外にも恋愛の要素を入っている。ベイビーが恋をするのがデボラというダイナーで働く女性である。2人が結ばれる所でこの映画は終わる。

ベイビーは幼くして両親を失う。そして聾唖の黒人の元で育てられる。ガキの頃から犯罪をしている。都市の中心部(アメリカでは貧困層が都市の中心部に住むと言われている)に住んでいる。つまりベイビーは社会的に底辺にいる白人青年なのである。

物心ついた時から犯罪を繰り返しているベイビー。ベイビーにとって犯罪は日常である。ベイビーは犯罪に対して罪悪感を抱いている。しかしそこから抜け出せない。それは何故か?

それはベイビーの犯罪者としての育ての親が、ベイビーにしつこくつきまとうからであり、ベイビーもそれに依存している部分があるからである。

この映画の中にはベイビー以外にもドクに雇われて犯罪をする人物が登場するが、その人物たちに共通するのが、お金への執着である。

彼らは過剰にお金を求める。お金があればすべて手に入るとでもいうかのように。

よく世の中はお金で回っていると表現されることがある。要するに経済というやつである。経済は万能でなんでも解決できる。それが拝金主義者の言い分である。しかしそれは本当にそうなのだろうか?

お金を渡しても手に入らないものがあるのではないか?例えば恋人からの愛。これはお金がなくても手に入るか?答えは否である。恋人に出会うまで服を着て、家に住み、食事も採らなければならないからである。

この社会の最低限の生活はお金で保障されているのである。何もしなくても、国がお金を回収していく。それが国家に住むということである。そもそも始まりにお金があるかどうかが重要なのである。