他者の幸福が自分の幸福であることが、人を生きさせる

映画「ありがとう、トニ・エルドマン(原題:Toni Erdmann)」を観た。

この映画は2016年のドイツ・オーストリア合作映画で、ある父と娘を描いた映画である。父の名はトニ、娘の名はイネスで2人の姓はコンラーディである。

トニの職業は教師で、イネスの職業はコンサルティングである。ちなみにコンサルティングという職業は企業の相談にのり、その企業(顧客)の問題を解決することである。

この映画の中に登場する問題点(枷)とは何か?それは娘のイネスの生き方と、父トニとの間での葛藤である。

父トニは、仕事以外のことは何一つ充実していない娘イネスのことを問題だと捉えている。トニはイネスの育て方を間違ったと後悔している。トニは娘イネスを成果を残すために生きる人間になれと教育して育てた。

イネスは勤めている企業からして高学歴で、高収入で、仕事も遊びもイケていることが目的の人間である。

トニはイネスの前に、カツラとつけ歯をして現れる。自分の本来の姿(見た目)を偽って娘に近づく。何故か?それはトニの姿から読み取れる。

トニは娘イネスの生活に少し異常な者として登場して、イネスの日常に違和感を生じさせる。トニは風変わりな変装でその場を異なるものに変えることにより、イネスの生き方の見方を変えようとする。

イネスが正常だと思っている生き方の中に異空間を生じさせて、イネスが自身の生き方を見つめなおすようにトニは促すのである。

イネスは高収入のコンサルティング会社に勤めている。彼氏の見た目も、車の見た目も、遊び方も格好良い。つまり、アッパー・クラスな生き方である。

イネスはコンサルティング会社で、企業に代わって企業の従業員の人員削減を行う仕事を請け負っている。コンサルティングの会社が当事者である企業に代わって人員を切り落とす。企業は自らのメンツを保ち、コンサルティング会社は多額の利益を得る。

そこで被害を受けるのは近代化の波に無理やりに呑み込まれた貧しい人々である。

例えば、ある企業が地方に石油を見つける。その企業はお金と脅しと甘い言葉で、現地の人々から土地を奪う。その土地から企業は利益を得るが、現地の人々は畑を作る土地が無くなる。富める者は富み、貧しい者はさらに貧しくなる。そんな構造をつい思い起こしてしまう。

近代的アッパー・クラス的な世界観。それは周囲の人々だけでなく、その人自身の息の根をじわじわと止めるために、力を加えるのである。人間はそこまで近代向きではないのだろう。