全部自分色で染めてしまうのか

映画「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス(原題:Guardians of Galaxy Vol.2)」を観た。

この映画は2017年のアメリカ映画で、マーヴェル・コミックスのマンガを原作としたものである。タイトルに“リミックス”とあるようにこの映画はシリーズ第2作目の映画である。

この映画の主人公はエゴとメレディス・クイルの間に生まれた子供であるピーター・クイルである。

映画の第1作目ではピーターの父は不明であったが、今作でピーターの父がエゴであるということが明らかになる。

このエゴという名の父が何者なのかであるが、これは言葉では表現しにくい。ただし映画の説明によるとエゴが何者であるかは簡単に理解できるようになっている。

映像ではなく言葉でエゴを説明するとこうなる。宇宙空間があった。そこに脳が浮かんでいる。脳は宇宙に対して指令を送る。宇宙の成分で脳からの命令により、星が誕生する。その星に人型の生命体を作る。その生命体が宇宙の各地に行く。そしてその星(宇宙に浮かんでいる脳からできた星)と、各地の母親と呼ばれるような生命体に子供を作らせる。

星とセックスして植物が生まれ、その星の母親と呼ばれるような生命体とセックスして子供が生まれるのである。

エゴとは宇宙空間に浮かんでいた脳であり、その脳により生まれた星であり、その星から生まれた人型の生命体である。

エゴはなぜ宇宙のあらゆる場所に子を作ったのか?それは自らが宇宙そのものになるためである。永遠に自らが宇宙の全体となり、すべては一体となっている状態をエゴは望み、そのためのエネルギー源として自分の子供を使うのである。

この映画にはピーターの生みの父親としてのエゴと、育ての父親としてのヨンドゥ・ウドンタが登場する。エゴが一体化、同一性の象徴であるとするなら、ヨンドゥは多様性を象徴するかのような存在である。

エゴはピーターと同じ白人男性の姿をしているが、ヨンドゥはピーターと違い青い色の宇宙人である。ヨンドゥはエゴに雇われて、宇宙中に散らばったエゴの子供を集める仕事をしていた。

ヨンドゥは、エゴが自らの子供をエネルギーとして使い、子供は殺されていくことを知り、ピーターをエゴに渡さずに、自らの宇宙船の船員として育てることにしたのである。

ヨンドゥが多様性を示すかのようなシーンがある。ピーターをエゴの手から助け、宇宙に葬られる時のヨンドゥを燃やす炎は七色に輝いている。そして燃えたヨンドゥの遺灰も虹色の輝きとして宇宙に散らばっていくのである。

宇宙は広く、多様な生命体が存在するというのがガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの世界観である。それと対照的なのがエゴという存在である。多様な色を自分という色で塗りつくそうとする。エゴは多様性の1つとしては満たされなかったのである。